F1残留決定の角田裕毅、来季は飛躍の年となるか。先輩日本人ドライバーの“3年目”はどうだった? | 北海熊の独り言

F1残留決定の角田裕毅、来季は飛躍の年となるか。先輩日本人ドライバーの“3年目”はどうだった?

2023年のF1残留が発表され、フル参戦3年目を迎えることとなった角田裕毅。過去F1に参戦し、“3年目”を迎えた日本人ドライバー達を振り返る。

 

日本人としては歴代10人目となるフルタイムF1ドライバーである角田裕毅。彼は2023年シーズンもアルファタウリに残留することが発表され、同チームでの3シーズン目を送ることとなった。

 

 アルファタウリのフランツ・トスト代表は「ドライバーがF1を完全に理解するには少なくとも3年は必要なので、彼にそのポテンシャルをフルに発揮するための時間が与えられたことは喜ばしい」とコメントし、3年目を迎える角田に期待を寄せている。彼が今季残りのレースと来シーズンで印象的な活躍を残すことができれば、今後のF1キャリアにも大きな影響を与えるはずだ。

 

 歴代日本人ドライバーの中で、3年以上フル参戦することができたのは5人。中嶋悟、鈴木亜久里、片山右京、佐藤琢磨、そして小林可夢偉だ。今回はそんな彼らの“3年目”を振り返ってみよう。

◼️中嶋悟(1989年)

 

1987年に日本人初のF1フルタイムドライバーとしてロータスからデビューを果たした中嶋。3年目となる1989年シーズンもロータスからの参戦となったが、エンジンはホンダから非力なジャッドエンジンとなり、3度の予選落ちを喫するなど(チームメイトのネルソン・ピケも1度予選落ち)全体的には苦しいシーズンとなった。

 

 ハイライトとなったのは最終戦のオーストラリアGP。大雨の中スタートから大混乱となったレースで、中嶋は4位でフィニッシュ。惜しくも表彰台は逃したもののファステストラップを記録し、“雨のナカジマ”を象徴するレースとなった。

◼️鈴木亜久里(1991年)

 

1988年の日本GPでF1デビューを果たした鈴木のフル参戦3年目は1991年。ラルース(ローラ)からの参戦だった。前年の日本GPで3位表彰台を獲得した鈴木だったが、1991年は開幕戦で6位入賞を果たして以降は1度も完走することができないままシーズンを終えた。

◼️片山右京(1994年)

 

日本人ドライバーとしてのF1最多出走記録(95戦)を未だ保持する片山。ティレルから参戦した3年目は飛躍のシーズンとなった。開幕戦ブラジルGPで自身初となる5位入賞を果たすと、第3戦サンマリノGPでも5位に。第9戦ドイツGPでは5番グリッドスタートから一時2番手を走行した(結果はリタイア)。完走はわずか4レースだったが、日本のファンを大いに沸かせた。

◼️佐藤琢磨(2005年)

 

2002年デビューの佐藤が、B.A.Rで予選フロントロウ、3位表彰台、年間ランキング8位と、日本人ドライバー史上最高とも言える成績を残した2004年は、形式上は参戦3年目ではあるが、2003年シーズンは日本GPのみのスポット参戦であるため、ここでは便宜上フル参戦3年目の2005年シーズンを紹介する。

 

 好成績を残した2004年シーズンとは一転して、2005年シーズンは歯車の噛み合わないシーズンとなった。第2戦マレーシアGPは体調不良で欠場、第4戦サンマリノGPは5番手でフィニッシュするもチームメイトのジェンソン・バトン共々失格となり続く2レースの出場停止を言い渡されたりと、前半戦は満足にレースを戦うことができなかった。

 

 バトンは後半戦に復調し、37ポイントを獲得してランキング9位となったものの、佐藤は最後まで流れを掴めず、入賞はハンガリーGP(8位)の1回に留まりランキング23位に終わった。

◼️小林可夢偉(2012年)

 

2009年のブラジルGPでトヨタからF1デビューを飾った小林のフル参戦3年目は、ザウバーに所属した2012年シーズン。ジェームス・キーが手がけたC31は戦闘力が高く、セルジオ・ペレスと小林はしばしば上位に食い込んだ。

 

 小林はベルギーGPで予選2番手を獲得。決勝ではスタート直後の事故に巻き込まれて入賞を逃したが、これは佐藤琢磨と並んで今も日本人予選最高記録だ。そして日本GPでは3番グリッドからスタートし、母国のファンが見守る中で3位フィニッシュ。これも決勝の日本人最高記録タイであり、日本人最後のポディウムとなっている。