今年度最後の素敵ママ塾。今回も『コミュニケーション』についてお話しましたが、いや〜、本当に考えさせられますね。
コミュニケーションって、すべての人間関係で重要であって、いや人間だけでなくても動物とでも同じ。自分の気持ちや考えを伝える能力が必要で、それを受け取る側の能力も必要になる。
例えば、勘違い、思い違い、決めつけばかりの人間に、こちらの思ってることを伝えようとしても、そう簡単にはいかないわけで。伝わるどころか真逆に解釈されてしまい、余計にこじれたり。それが大人の世界にはあるんだよね。
でも子供の世界では、大人みたいに『遠回し』『おべっかい』『建前』『嫌味』っていう余分なものが存在してなくて、もっとピュアで綺麗な世界に思うんだよね。
じゃあ自分はいつからそれらを知ったんだろう?って考えたんだけど、25歳あたりでも、よく親や人に『ストレートすぎる。言い方を考えろ』と言われてたから、その辺りかな。嫌味とか遠回し、建前も、多分20代の時に覚えた気がする。それって相当遅いほうなのか?
ま、あたしの場合、自分が周囲と違うと言われても自覚もなかったし、出る杭は打たれるってことで打たれてても、打たれてることに全く気がついてないタイプだったから、ただ打った者が無駄なエネルギーを使っただけのはなしで終わる。
若い時は、オープンな性格で相手を傷つけることが多かったけど、今では実直で嘘のない人間と思ってもらえ、いつでもどこでも他のひとには言えない悩みを打ち明けられることが多い。それはある意味、奇抜な人生を歩んできた人だから、偏見がなくジャッジしない人と思ってもらえてるんだろうけど。
で、嫌味なんかも、言われた相手が嫌味ではなく、褒めたれたと受け取ったら、攻撃したはずが逆に相手を喜ばせたことになるわけだし。
そう考えると、ネガティブな言葉を投げられても、受け取る側がポジティブに解釈しようと試みたら自分が傷付くことも不快に感じることも減るように思う。だからと言って何度もはっきり断られてるのに、すべてをポジティブに受け取ったら、ストーカーマインドになりかねないけど。
逆だと、私の場合だと、男女関係では必要以上にポジティブな言葉を並べてくる相手は警戒しちゃうよね。意図がみえみえで。そうゆう場合は『言葉より行動で相手をみろ』となるわけだけど、これは異性関係に限らず、私が相手を知るのに適用している方法だけどね。
なにが言いたいかっていうと、コミュニケーションのツールのひとつ、会話、言葉って、根底に愛があるのがいいよね。『遠回し』『おべっかい』『建前』『嫌味』の根底に愛は感じれないもの。
学校でも先生が愛を持って教えてくれてると嬉しいよね。叱るにも愛をもって叱って欲しいし。夫婦喧嘩でもさ、根底に愛があるのと、だただんに相手に不快感を与えたり、負かすために投げかけている言葉じゃ、傷つけあって、刻々と別れに近づいていくだけだものね。
『ありがとう』の言葉もさ、あ、お礼言っておかなきゃ....という思いながらの言葉なのか、本当にありがたいな...と思ったから言ったのか、全然違うよね。
娘はこの先、どのような経験をするのかな?その度、私はなにを教えてあげれるのかな?
娘には誰かと心が通じる喜びを知って欲しいな。愛を感じる感動を知って欲しいな。それには、傷付くことを恐れず、他者とコミュニケーションを楽しんで欲しいな。
思ったことをツラツラと書かせてもらいましたが、来年のママ塾はどのように進化するのかしら?
来年は『性教育』なんかもお題に入るかもしれません。家庭での性教育。重要な事柄のひとつですからね。
2018年の最初の素敵ママ塾は2月8日ですよ〜。みなさまのご参加お待ちしております♪