学校ってどんな所【素敵ママ塾レポ】 | 日韓年の差夫婦☆バイリンガル育児☆脱ステ

日韓年の差夫婦☆バイリンガル育児☆脱ステ

元ホステス、その後ハワイへ。同じ大学だった、12歳年の違う韓国人旦那と結婚。子供をおうちでバイリンガルにすることを成功しました。『相手の好きに触れる』このテクニックがホステスも育児も同じだな~と思う今日この頃。独自の育児法や家庭学習のことなどを綴ったブログ

Aloha


今回の素敵ママ塾では、子供に実際に起きている、学校での出来事を題材にディスカッションをしました。

ワーク形式で、もし自分だったら、子供にどのような声掛け、アドバイスをするのかなど、ママたちに考えてもらう予定でしたが、流れ的にディスカッションになりました。

おそらく、各ママたちが子供のために起こす行動は同じなのではと、私は推測します。この意味はつまり、ママたちが学校を相手に起こせる行動はある程度きまってしまっているのではないかなと。

なので今回は、次回にもっと核心に触れ、根本をさぐるために必要なウォーミングアップだったと思います。

詳細はここでは触れませんが、本当に深く考えさせられ、勉強になるお話です。旦那とも自分たちならどう考え、どう子供に教えるかを話あいました。

やはり私たち夫婦の考えは、その時その時で自分たちが子供になにを教えられるか?がもっとも大事。

その事柄をどう処理するかよりも、子供が自分の心、気持ち、感情をどのように受け止め、どのように解決策を見出していくかが重要なので、その導きをしてあげたいという考えです。

様々な考え方、感じ方をする人間がいる世の中。でも日本では、個人の意見や思いを言えば、たちまち面倒なひとと思われ、距離を置かれたりすることも多い。多数でいなければ変人扱いをされ、調和を乱す人間と言われる。

自分が傷付くのを避けていたら人を本気で愛することは難しいし、人を傷付けるのを避けていても同じで、他者と深い部分で繋がれるのは難しいとおもう。

コミュニケーションなんかもまった同じで、どんな関係であれ、相手との関係を築くとしたら、相手にこころを開く必要がある。なのによく目にするのは、表面上だけうまくやっていくためのHow to bookばかりで、トラブルの回避法をうたうものばかり。心は開かずにいかに装うかみたいなね。

今回も興味深かかったのが、クラスでも喧嘩をしないという方針らしく、へぇーと思った。だって、大人が喧嘩って勝手に決めつけてるだけで、なおかつ喧嘩イコール駄目ですと教えているだけでしょ。

玩具を取ったり取られたりするのは喧嘩じゃなくって、相手を知るための過程にすぎない。無理やりそいつから玩具を取ったら、泣いた。あ〜泣いちゃうヤツなのね〜っておもいきや、反撃されて噛まれた。うわ、こいつ怒ると噛むんやって、少しだけだけど相手の事が知れる。

学校にもいくと、意見の食い違いで、どっちが正しいかとか、どっちが強いかで口論になる。その言い争いをみた教師は、揉めるな〜と注意するみたいだけど、それは喧嘩じゃなくて意見の違いの押し付け合いなだけでコミュニケーションのひとつだと私は思う。

ただ意見の違いの受け入れ方や、お互いが納得する妥協点の探し方を知らないだけ。だからそれを知ってる大人が導いてあげればいいんちゃうの?子供たちは素直な心で、ただ言い合いをしてるだけじゃないの?

お互いが、相手を傷つける目的だけでやるのが、喧嘩だと私はおもう。

子供の頃から、意見や思いを口にする子供がいると輪をみだす、わがまま、自己主張が強いなどいって抑え込んでいく傾向が日本にはあると思う。

だから日本の社会には自分を押し殺して、意見があるけどそれすらも閉じ込めて、自分の価値観や感じ方さえわからなくなり、相手を軸にしてだけ考えて生きていく。だから自分の人生の意味さえ見失う。

意見がないわけじゃなく、意見を持たぬようにトレーニングされてきたみたいになっちゃってるかんじ。

日本では、多くの人がその場でなにも言わない。意見を聞かれて言わない。でもあとから、突然、苦情(文句)を言ってくるみたいなね。

その逆もある。意見を聞いてきたくせに、相手の答えが自分が欲しい言葉じゃないと、たちまち防御してくる。つか別に攻めてませんけど?(笑)

意見交換、意見の違いを楽しみ、受け入れることに慣れてないから、ずーーーーと我慢して、心のに不満を抱き続けてるような。だから小学校から、その手の問題が起こりはじめて、すごい仲良しだったのに、翌日から相手に突然シカトされるとか。

つか子供のときからどんだけ陰険なの?と私的には驚くけど。だって、不快なことがあるなら言えばいいじゃん。言えないから読み取ってよ!!って思ってるのなら、絶対無理やし!!と言うわ(笑)自分の言えない弱さまでをも、相手の否にして、相手を嫌うとかさ。どんだけ自分が好きなん?とおもうわ(笑)

もちろん、集団生活の中で必要なこと、身につけなきゃいけないことは沢山ある。でも集団生活の中で、自分を押し殺ろさせて馴染ませる指導をするのは違うと思う。手間かけさせるな、と言ってるように聞こえるのは私だけ?

集団の中では、自分は何ができるのか?自分の得意不得に気づかせ、そこで自分がどんなことが出来るか、誰かの役に立てることを見つける?誰かの役にたてた喜びを教えてあげて欲しい。それは親と先生の共同作業でね。

だからライセンスのある(教員)人間がいる学校に行かせるわけだし、子供同士で学べる環境に子供をおくわけだし。

それとも今は、学校はあくまで勉強をするところで、先生の言うことに素直に首をたてに振れない子供は、駄目な子カテゴリーに入れられちゃうのかな?

今の小学校、中学校ってどんなかんじなんかな?どんな教員がいいといわれ、どんな教員が疎まれるんかな?子供の声に本気で耳を傾けてくれる先生はいるんかな?人手不足でそれどころじゃないのかな?そんなことより勉強を漏れなく教える方が大事なんかな?

実は、韓国の義理父は高校教員で、うちの旦那も高校までの英語教科のライセンスを持っている。旦那が父親によく言われた言葉とか、韓国の教育制度とか、今回の素敵ママ塾での題材も。考えさせられることが多くあり、非常にありがたい。

って、思ったことをツラツラと書いてしまったけど、次回の素敵ママ塾は12月前半予定です。

ご興味がある方のご参加、お待ちしてますね♪
ashley3aloha.planning@gmail.com