Aloha
ホステスを20年間してきた私が、37歳の時にハワイへ留学するまでの話を書いています。
ホステスを20年間してきた私が、37歳の時にハワイへ留学するまでの話を書いています。
前回のキャバクラ事情の続きです。
とにかく、キャバクラのキャラに徹して仕事をしていたら、出勤中に車内から見えた夕日を目にしただけで、涙が出てきました。はぁ、自然に触れたい。電話もメールこない生活をしたい。
そう思うようになり、すぐさまインターネットで検索し、バンクーバーへ短期語学留学へ行くことにしました。カナダは行ってみたい国のひとつだったのと、ノースアメリカがアメリカと、どう違うのか知りたかった。あとはオーロラを見てみたいな〜と思い行き先をカナダに決めました。32歳の秋でした。
サクサクっとエイジェントを決め、申し込みをし、飛行機のチケットをおさえました。
エージェントは、主にワーキングホリデーでくる人のサポートをしている、日本人夫婦経営のところ。
彼らは半地下にある部屋を貸していて、キッチン、シャワー、ランドリーは共同。みな、バンクーバー入りしてから1〜3ヶ月はそこで暮らし、それから自分で部屋を探したり、仕事を探したり。
人脈を作るためにも、最初の数ヶ月だけでも語学学校に通うことを勧めていて、(ワーホリだと1年間、仕事をしていいvisaなので学校に通う必要はありません) 私は2ヶ月間だけの滞在で、観光visaで入ったので、そのエージェントに学校の申し込みだけを依頼しました。
カナダに到着後、エージェントの人が空港まで迎えに来てくれて、まずはルームメイトにご挨拶。東京からの男の子と、大阪と名古屋からの女の子。みないい子で、カナダ滞在中、よく一緒に行動しました。
最初に思ったのは『 寒すぎる...』
本当に寒いんです。
といってもマイナス3度くらいなんですが、雪慣れもしてないし、なんせ夜行性で外気にさらされることも少ない生活だったので、到着後、速攻、手がしもやけになりました。
日本から着ていったコートでは寒さがしのげず、$500のダウンコートを現地で購入し、母に大量のカイロを送って欲しいと頼みました。でも人間の適応力ってすごいんですよ。カイロが届いた2週間後には、寒さにも慣れてしもやけも治ってた。
そして最初にカルチャーショックを受けたのは、実はカナディアンにではなくて、バンクーバーに語学留学している韓国人にです。
2ヶ月間のバンクーバー滞在中、結構面白いことがあったので、次回はその韓国人たちについてお話させてください。次回はバンクーバーに留学中の、裕福な家庭の韓国人たちのお話です。