昭和43年は我喜屋(子供や)だった! | ラジオ ポロシャン

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ラジオが危機的と言われる。でもラジオが好きな方は多い。ラジオは他の作業をしながら聞ける。聞く人たちが自由にイメージできる。テレビはこれなんだ! とイメージを固定される。ラジオ的表現をここでやってみたいと思います。

興南 延長で日大三降し初優勝
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1164092&media_id=2

小生と同世代ですね、興南の監督さんは。夏の大会でベスト4だった。同じ「興」のつく大阪の興国高校が優勝したかな。翌年の夏はあの延長再試合、三沢と松山商業。この時は社会人として松下寿の出張先で聞いていた。
高校野球の解説の鍛冶舎さんは定評がありますね。

昨夜、山口さんから電話。「こいと」の解体が始まったと。細君を迎えに行く帰りに「こいと」を寄るので、「どうして?」というので、「解体が始まったと山口さんから電話があったから、どうなっているかと思って」と告げた。建物の断面図を見るようだった。

10日に「偲ぶ会」そして「凌ぐ会」に持って行きたい。

脳良仕事のことで、いろいろ工夫している。アイデアと表現がうまく行くと面白くなるでしょう。先日書き込んだことで気遣いさせたマイミクさんがいた。電話で辞書のことを記述したので気になさらずとお願いした。

ある事情でツイッターをいったん退会して、再入会したので一人慰め状態のつぶやきだ(苦笑い)

4月に入り入社式ですね。小生は入社式の経験はないね。途中入社が多い。松下寿は丸亀の職安の紹介だ。入社したのが3人で、男2名、女1名だった。同期男は行成(ゆきなり)と言って、音楽のバンドをやっていた。新宿界隈にもいたようだ。田舎育ちの小生には初めて聞く内容。彼からあるとき「お前、一杯飯食っているけど、恋をしたら飯食えへんでぇ」と言われたことがある。その時は聞き流していたが、それが事実だということが後年わかった!
だから、当時は我喜屋だった!(笑い)