泥沼の中でいても好みが働くだろう。

むしろ何も無いときよりもえり好みする。

日常にあきらめがあって気をおとしているとよけいに尊厳を守りたくなる。

少しでも自分に意味があると思いたくなるのだ。

毎日摂取するものの内容が少しずつ変わったとする。

そこに異物感を持つことはできないだろう。

ブランドへの信用が感覚をにぶらせるのだ。

与えられるもの。天引きされる物。疑えばキリがない。

疑うのは利己的だと思われるのだろうか?

疑うコミュニティーから外れたくないだけだ。

供給側のレベルは需要側と大きく離れていなければならない。

使う側のレベルは常に想像力がプラスされる。

現在ある素材や構造を超えてしまうことはゼロになることだ。

差を縮めないように教育や倫理で押さえ込むことが行われる。