本質を問う… | 薬物依存症を受け入れて

薬物依存症を受け入れて

さーどうやって生きて行こうかなあ…



昨日のブログでお話した『日韓友好』がテーマのネットサービスの考案は、今までそこへ至った経緯を自分なりに考え直してみた。



なぜ、憎しみあうのか?

なぜ、相手の意見を聞かず主張ばかりするのか?

なぜ、建設的な話し合いができないのか?




なぜ? なぜ?    なぜ?  なぜ?  なぜ?  …   



なぜなぜが… 止まらない~!



今回のテーマは、『日韓』に関する『反日』『反韓』をどうしたら解決できるかを自分なりに考えて『形』にしてみようという作業が目的だったけれど…


掘り下げて行くうちに、『本質』みたいなのが見えて来た。


それは、『国籍』『民族』『宗教』などの違いから様々な『誤解』や『軋轢』を生み出す根本的なもの。


それは、自分が『生まれながらのマイノリティー』で、さらに付け加わった『新たなマイノリティー』を受け入れて、『超マイノリティー』として生きてみたこの数ヶ月の経験や感じた事が『ヒント』を与えてくれた気がする。


僕は、ほぼ7年くらい『社会』とは断絶した『引き蘢りニート』だったので、『人』との関わりが希薄な生活を毎日送っていた。


それは、『自分』を社会で『公表』する事に『値』しない人間だと思っていたから…


市役所で『名前』を呼ばれる時…
→ 韓国名で呼ばれる事に対する罪悪感みたいなものがあった。

内科で『睡眠薬』を処方してもらう時の診断時…
→ 不眠で寝れないので…本当は覚醒剤のフラッシュバックが原因なんだけどなあ。

仕事の面接で経歴を話すとき…
→ 出所したばかりで前科がばれたらどうしよう。

稀に人と会ってお茶するとき…
→ ずーと無職でお金が全然ない…なんて言えないしなあ。


みたいな『後ろめたさ』を引きずって生きる事に『絶望感』と『空しさ』がいつも付きまとって『行動』を制御されていたんだと思う。


今、こうして恐る恐る『社会』へ少しずつ出てみて、


『病院』では、『薬物依存者』としての『俺』。

『市役所』では、『韓国人』としての『俺』。

『面接』では、『前科』のある『俺』。

『人と会う』ときは、『財布』に1000円しかない『俺』。


てな、感じで今では『当たり前』な事として、生きる事に『違和感』は無い。

むしろ、


自然で穏やかな気持ちになれる。


それは、想像していた以上に『出会う』人達と心から『交わり』悩みを『分かち合い』共に『共感』し合い、『助け合って』いるからなのか。


…はっきりと言葉では表す事はできませんが。


この気持ちは結局のところ、


『人』が『人』を変える… 



んじゃないのかなあ~?  つーうことに行き着いたのだ。



なので、『日韓』の問題も、結局は『人』と『人』の問題なので、『人』と『人』の気持ちを繋ぐことを『テーマ』に変えて作戦を練り直している作業中に『頭の中をリセット』する為に、今こうしてブログを書いて『整理』しています。


しかし、『企画書』… めんどい。。