運転と道交法と心理学 | よろず話屋

よろず話屋

*注意1*心臓が弱い人は閲覧禁止!!即刻退出せよ!!
*注意2*正誤をこちらに追求されるのは筋違いです、どうにもこうにも誤りを指摘したいのならコメント欄にお願いします。
*注意3*見たいと望んだ人が見るブログ。

自動運転ではなく人が運転する以上、交通や運転や道交法解釈にも心理学が生まれる。

元々道交法とは円滑で安全な交通を目的に存在しているものだが、そこに自由などを持ち込むと殺人や強盗なども自由で、行うものが逮捕されるか逮捕されないかも含めた話にする人もいる。

 

本来は公共の道路上に自由はない。

 

ところが自由を持ち込むことでいろいろ複雑に、なおかつさらに多くの問題を生じさせるわけだが。

 

よくスキーなどでゲレンデルールとして、道路や交通規則をたとえに出す。

それでもゲレンデはお金を支払って滑るところで、そこでは自由にシュプールを描いて滑ることができる。

これはゲレンデで、公共の道路の話ではないが、すでに道路も無料のゲレンデとして認識してる人ばかりだ。

 

渋滞をつくる人とつくりにくい人という区別はある。

 

道路上で事故があり、その付近を通るときに事故見物をしようと減速したり低速でそこを通るドライバーと、前がすきさえすれば速やかに加速して、そこで起きた事故の見物はせずに運転に集中してる人。

事故見物するドライバーは渋滞をつくる人で、事故見物しない人は渋滞をつくろうとしない人。

 

これはもうこのまんまである。

 

恐らく事故見物するのが普通で、こういうドライバーが多い。

だから渋滞もより増えていくのが現実。

 

渋滞をさらにつくる側でありながら、「渋滞につかまっちゃってさー、さんざん。」などと作る側でありながら渋滞を嫌うという、よくある自覚も認識もないでたらめな人は8割とか9割をしめるものだ。

 

いうまでもないが、その空間に車が飽和すると渋滞するわけだが、この飽和させる方向の運転をする人とそうでない人というのが”人というドライバー”に関する渋滞の話だ。

 

基本的に誰も彼も道交法は違反するのが当たり前だが、これを「いいや、自分はしたことない。」という人は、それこそ無知か無免許か警察に違反切符をきられたことがないかだ。

 

違反しているのが当たり前で、違反しない努力とそういう運転をする努力をしているまでの人しかいない。

 

それでも最高速などを順守すると、あれもこれも効率が悪くなり、誰も彼もが時間を余計に浪費することになる。

だから事実、最高速度が40kmや50kmでも、それぞれ50kmや60kmの速度で走行して警察に切符をきられたということはまずないだろう。

 

なぜか?って、だから時間を捨ててどうすんのさ!という現実的当然の話だ。

 

円滑で安全な交通のための道交法で、法のための交通ではないのだから。

法律馬鹿が法律守れ!と、法律だけどうこういうのもいるのはいるが。

 

法律守ると、道路はつねに渋滞で何時間もそこに停止したまんまという事態はしょっちゅうだろう。

「いいや、きちんと道交法でも専門家的量の知識があれば多くが違反だと思うことも対処可能な法律もちゃんとある。」というのが道交法の現実でもあるが、運転免許もっててもそこまでの知識はほとんどがもっていやしない。

 

それが無知の現実だ。

 

雪の日に雪でスタックし、何日もそこで停車し、雪を除雪して警察の指示によりバックなどで道路の”逆走”をし、そこから脱出する・・・・という法の順守?

 

幸せな現実だな、法の順守とは。

 

そりゃあ国や警察からすればそれでいいわけだが。

 

こういう話もある。

 

赤信号での交差点などへの進入も多くが普通に行う違反だが、赤信号で進入する人は青信号でのスタートが遅い。

逆に赤信号で止まろうと努力してそうしている側は、青信号でのスタートも早い。

 

時間的なずれだ。

 

赤でも進入するから、青ですぐに動かなくてもいいという何かの心理的余裕があり、赤で止まるなら赤で進入する人よりも走行できる時間が短いからおのずと青で素早く進んで進める時間を確保しようとする。

 

あるいは歩行者でも横断歩道を渡る際に、優先で渡っているのと、王様だから悠々とのんびり渡ればいいという具合に人種に差がある。

 

大昔は公と私という言葉があったが、もはや死語と化し、先に述べた殺人や強盗の自由で警察や刑罰を受ける可能性の話をするような輩も少なくないのが2000年以後の日本の実情だ。

 

道路は公で自分の場所でなく、みんなの場所である。

 

・・・・・といって、「え?そうなの?」という人も多いだろうね。

 

優先。

 

先にいっていいですよ・・・・という意味。

 

それだけなんだが。

 

煽りも車間距離つめたりすることばかり言う人もいるが、低速で走行したり、信号が赤にかわる前に自分だけ進んで後続をとめる行為も煽りである。

TVでのあおり運転もこのまんまだろ。

 

道路上も所詮は人が運転している車の話。

道交法も円滑で安全な交通のためでもあれば、個々人が使う嫌がらせの方法でもある。

 

嫌がらせで使う人もこれまた普通であるという現状だ。

 

それが普通の人だからな。

 

渋滞もバブルのころなら「道路を広げればいい。」という話ばかりだったが、もう今は子供のためにカネを使えだの医療に使えだの自然災害で補助しろだの、企業に融資しろだの、どこもかしこも使い道には困らないが肝心の金の工面が問題である。

 

人口減で車も減るであろう将来と自然災害のたびに復旧させる道路など、考えて現実的な当然の思考をしないとGDPが4位になったとかどうでもいいことよりもさらに日本がいろいろ低下していき、その低下してことも当たり前にしていき、なんというか。

 

そういう終っていく状態を当たり前とする国に・・・・・すでになってるか。

 

どのみち車の自動運転が将来的目的ではあるから、渋滞緩和も青信号になると車列がそれぞれつながった列車のような動きをするようになり、人が運転していたときよりも渋滞が緩和されることは間違いないだろう。

 

それも自動運転の技術の確立があってこその話だが。