景気の表現が悪化になったという本日。
産経新聞のネットNEWSでは、憲法改正の世論調査において、多くが憲法の改正をするべきだ、という意見が多かったという。
正直、質問の言葉だけで考えれば、憲法を変えることが重要であり、何の憲法を変えるのか?変えたいのか?という、大事なところは一切抜けており、そのまま憲法改正を目的にしかねない日本語をつかっているなあ、と思う。
何の憲法を変えるのか?という議論と、憲法をとにかく変えようという議論は、別の議論ですからね。
非常に重要な視点なので、そう思って思って思って思ってしまう。
これに絡めていくと、国会の前でも女性への性犯罪なのに無罪判決が続くことによる抗議デモが起き、そこでは法律の改正を求めているという。
しかし、ここでいう法律を変えると、次は男性側への冤罪の可能性が上がるという法律の改正を願う話し。
この件の主旨は、男と女というもので対立する構図にすれば、男が冤罪の危険から改正反対にまわり、女が多くは自分達への側が受ける犯罪そのものであるから、法律の改正を求めるというのが、フランス発祥当時の自由な民主主義という意味では、そうあるべきだという話になるだろう。
自分達の利益のために、互いのメリットがある側に賛同する。
性別でいうなら男対女。
討議する議論の中身をどうだこうだと問わずに、一般的な自己の利益に関する賛否を民主主義で問う、という発想で述べてみたが。
これはまさに男と女という性の差に関する犯罪の法律改正を求める話だけれど、現状ある状況で思うことを述べてみる。
とにかく男と女は平等をうたい、平等に教育を受けるが、男と女が男と女になりたがる。
性犯罪であるということは、被害者は警察に被害を届けなければならない。
まずはこれが大事だ。
大事であり、当たり前ですから。
本来のこの件に関する問題は、19歳の娘を父親が性的な行いを犯したが、娘の同意がないことは明白だが、拒むことができないという条件がなく、だから罪に問えないという判決から始まったのだろうが、実際の関連した一連の流れの内容事実を詳細にしらない自分が思うには、子供が親の保護下にある状態において、家族という構成要因というものを当たり前と通常は考えるが、そういう経済的、現実的な住居という実的な娘としておかれている環境において、拒むのは無理でしょうね。
ということでただ判決がおかしいだけだから上告すればいいだけだろうという思いですね。
仮に性犯罪をなくしたいのなら、罰則をなくすことしか方法はないでしょう。
もしくはすべての人類がこの世から消えればいい、この原理は昔からこのブログでもいってますね。
裁判というのは労力が大きく、裁判自体を他者がささえるのは必要なことだと思います。
罰がないからしてもいいというところが重要な人は、戦争でも殺人でも楽しく行う人達です。
ひわいな言動にしても、赤の異性の他人が、自分の髪をこちらの了承もなく触り続ける。
普通する?普通はしない。
やめろといっても続けるならば、卑猥な言動・・・・警察・・・・・とはなりますよね?
刑罰が与えられるかどうかは知りませんよ。
アメブロで、いいね!などの機能があるが、このいいね!を使う目的が自分にはいまいちよくわからない。
とりあえず自分の価値観では、コメントこそが通常の行為であるので、コメントするならいいねでいいよ!という思いの人がいるならば、こちらはここで嫌だ!という思いを伝えておきます。
さすがにいきなり否定コメントを強烈にぶつけるのはネット上では非常識なのでしょうが、そういう風潮がなければ手っ取り早くいいたいことをコメントしてるでしょうね。
前はぐるっぽサービスがあったので、そこでの討論グルでは当たり前にやっていた行為だけれど。
それでもこちらが確実に”やばい”と思う人へ、コメントもいいねもしませんけどね。
とりあえずネット上で公開できる人は、してない人より堂々と生きていることは間違いない。
昔はリストカットなどが重く受け止められたが、今は市民権をいくらか得ているようですね。
人によるとそれが快楽と呼ぶものらしい。
わからないなりに自分が思うには、いらついてタバコを吸う、大麻をやる(犯罪だよ)、麻薬をやる(犯罪だよ)、物を壊すとかパンチングマシンをするとか、パチンコ、酒を飲むとか、そういう感じなのだろうとこちらは空想するくらいだ。
「リストカットが止まらない。」
え?・・・あ・・・ああ、い、いやあ・・・・自分は”キャッツアイ”のほうがいいかな。