コタバル敵前上陸 | よろず話屋

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昭和43年に書かれた、旧・元日本軍将軍によって書かれたドキュメンタリーがある。

ちょっと読んでみたが、正確に伝える必要があるものがあるようなので、ここで要約してみる。

 

コタバル上陸の時間は太平洋戦争の火ぶたを切った”大切”な問題なので、いろいろな資料(S43以前)から慎重に検討した結果、”一応”、日本時間の午前2時15分と”いうことにして”公刊戦史の方はまとめたと、防衛庁戦史室から筆者に連絡があったという。

 

服部卓四郎氏大東亜戦争全史第二巻第一章の冒頭に「極東国際軍事法廷は、真珠湾攻撃が○○駐米大使の日米交渉打切通告に先立つ一時間前に行われたことを強く論難した。」から始まる、

真珠湾攻撃時間は日本時間の12月8日、午前3時20分であり、香稚丸乗船の揚陸団長からは、マレー沖(シンゴラ沖)より軍機電報により、「八日一時三十分コタバル東岸に上陸成功す。」

と報じている。(略)

これはもちろん日本時間であって、正しく真珠湾攻撃に先立つ一時間五十分である。

 

と、記録されているのが明らかである模様。

 

この時刻は筆者(旧・元日本軍将軍)が淡路丸船上で船舶無線によって軍司令官当てに揚陸団長経由で打電した時刻と一致している・・・という。

その後、敵の攻撃を受けつつ突進するのを筆者が目撃し、上陸舟艇中、真っ先に淡路丸に帰還した舟艇長から報告を受けたのが、二時二十分であり、上陸戦闘の激しい銃砲火を見てから、丁度五十分をすぎていたので、筆者が上陸成功の時刻を12月8日、午前1時30分と判断したのである・・・・という。

 

これが英領マレー、コタバルに上陸成功した記録である。

 

マレー作戦も真珠湾攻撃と同じように特異性があるようだが、とにかく当時の日本軍においてはどちらも特殊な行動である。

上陸した兵の戦闘状況は、当時はとにかくトーチカに立てこもる守兵との交戦であり、日本軍兵士が相手のトーチカの銃眼に体を投げ込み、銃眼からの銃撃を阻止する人の妨害法方であり、どう見ても神風です。

終戦間際の地雷を抱えて突撃するというもののほうが、これと比べると攻撃力はある。

敵の航空隊も日本時間の午前二時すぎに数機やってきて、上陸船団に爆弾を投下、輸送船弾も被害を受けている。

 

ということのようだ、それでは。

 

 

 

 

それで、表示文字がおかしいのは、最初に文章を構築していて、途中で主語が何を指すとか、一字一句きちんと読まないので途中で気づき、記事作成中にコピペ、切り取りなどを行うと、フォントサイズのプログラムも一緒に切り取り、倍の倍になったんじゃないかと思うが、ウイルスも何も仕込んじゃいませんよ、持ってないしね、それも技術も。

閲覧する側のOSなどに支障がでるとは思わないのだけど、あるなら伝えてくれれば記事ごと削除しますわ。

俺の脳内では閲覧側に支障があるとは思えないんだが、セキュリティが拾うなら、その件については大丈夫です。

技術ある人が外部からこの情報源をいじらない限り・・・・・です。