やさしいとただしい | A SPHINX MADE IN CHINA 的 感情論

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南風が吹いている。

明日から暖かくなるらしいと毎日の様に聞いていたが、どうやらようやくそれが現実になった。

柔らかな春の陽射しを越えて、それはもはや2人の額に汗を作るのに十分すぎるほどだった。

また、それゆえに2つの着けられたマスクも、顎から鼻の下までを覆うだけになっていた。


人生を彩るのに哀しみが必要だとはひとつも思っていない。だからこそ必要なもの以外は要らないと思っているのだけれど、どうもいつも間違えてしまう。

そして、その間違いに気がつくのは間違いを犯した後

になる。

だからこそ、今日ほどこれまでの人生の中で時を戻そうと感じた日はない。


やさしいの難しさについてはこの間考えたばかりだけれど、昨日今日と(やや一方的に)話す中で、その他方でただしさについても同様に難しくて非常に危ういものだと感じた。


ただしさにもやはり2面あって、

共通認識としてのただしさと、

それよりももっと深いところにある個人的なただしさとがあると思っている。



一体、いつの話だったんだっけ。