阪神大震災時の思い出の味
vol.1318
昨日1月17日は
阪神大震災より25年
考え深い日でもありました
神戸市在住の人たち
それぞれ
あの日に体験した事を
心に抱えながら
前に足を進めて歩いてこられた25年だったと
思います
私が思い出す
懐かしい味のお話です
私の父もその当時入院先の病院で
被災
いったん避難先に兄夫婦達と避難した両親
私が住んでいた西区から
避難先に行くにも
電柱には電線がぶら下がり
道路はひび割れ灯も無く
危険だからと
地域にさえ入れずもどかしさを感じる中
パートナーがそんな危険地域を突破して
(当時住んでいた)マンションに連れて来てくれました
点滴治療要の父でしたが
数日を共にした中で
母共に束の間の入浴や食事に安堵し
喜んでくれたのを思い出します
体をさするのでは追いつかない
硬直状態になりましたが
今直ぐに命にかかわる人にしか
救急車も来てくれず
布団で父を包み外側から紐でくくり
マンション上階から皆で運び出し
やっとの事で某病院に連れて行きました
神戸市在住の皆さんがそれぞれの緊張感のなか
過ごされていた被災地です
病院に訪ねたある日
『何か食べたいものはない?』と
たずねたら
『すいか』と応えた父
まだスイカの出回る時期ではなく
探し回り、
やっと見つけたのは
小さな
温室育ちのすいか
かなり買うには高価なものでした
その頃の父の容態は余り良いとは言えず
両足はパンパンにむくんでいました
固形物は食べれない状態の父に
すいかの絞り汁を作り
少しずつ飲ませると
『おいしい…』と小さな声で
つぶやいてくれました。
あの時、父が喜んでくれた
すいかの絞り汁
阪神大震災の半年後
亡くなった父
厳しく私には近寄り難い父でしたから
喜んでくれたのが
本当に嬉しかった
いつも1月17日
阪神大震災時
あの時のつぶやき
すいかの絞り汁
を、思い出します。
『食の先にある笑顔』
を求めて今年も更に
頑張っていきます!