活躍したいと思うようになった。
父の仕事の関係で自分の人生の
半分以上は海外で過ごして来た。
父が当時北イエメン、現在はイエメン共和国に
転勤になった時、私は妹より1年早く英国の
女子校に10年生(高校1年生)として編入した。
世界各国から様々な女性が集まるこの学校で
私は自分と言う人間が何に興味を持ち、
どの分野で自分は人には負けない「才能」を
持っているのかを知る事が出来た。
クラスメートの多くは自分の進路を
かなり前から決めていた。
医者
弁護士
教員
パイロット
小児心理学者
物理学者
ファッションデザイナー
政治家
起業家…etc.
15~16歳で彼女達は、すでに
自分の進路を決めていて、
その目標に向かって進んでいた!
私は物凄い衝撃を受けた。
そして、私は自分なりに真剣に
自分の進路を考えるようになった。
先生方の応援もあり私はアートを
自分の進路として選んだ。
「先ずは、美大に入学する!」
それが私の目標になった。
海外の美術大学、日本の美術大学に
ついて調べ始めた。
親に感謝する事が1つある。
それは、常に自分達の出来る範囲で
良い学校に通わせてくれた事だ。
…でも、残念な事に父は私の選択に
猛反対をした。
「絵で食べていけると思うのか。」
と、言って猛反対。
母は「女の子なのだから良いではないか。」
と、父を説得しようとしたが
「大学を卒業するまでは僕の責任だ。
僕は、大学までが一般教育だと思っている。
先ずは、日本の総合大学を卒業してから
好きな事をすれば良い!」の一点張りで
私は、自分の目標を諦める事になった。
今から考えると日本の総合大学で
学んだ事は決して無駄ではなかった。
社会学科に進んだ私は「社会学」について
自分なりに学んだ、そして日本の社会に
ついても知る事が出来た。
当時、美大で学びたい気持ちは頭の隅に
あったが…この新しい生活に結構満足もしていた。
当時の彼氏だった旦那様とも出会い
「もしかしたら、自分はこの人と一緒になって
平凡な幸せを歩む運命なのかも知れない。」
と、思っていた。
大学を無事に卒業。
就職難の中、就職も出来た。
就職情報誌を発行する会社の総合職で
新たな一歩を踏み出した。
研修直後、私は制作部に配属を望んだ。
自分としては高校生の時の目標であった
「アートの方面で活躍する」チャンスだと
思っていたが…そう簡単には上手く行かず
結局は営業部に配属となった。

…つづく