咲KURAちゃんちで野菜の重ね煮スープを一緒に作って食べて以来、

長野の自然農たかはし さんの野菜をずーっと定期購入しています。


自然農といえば一時期ナチュラルハーモニーも購入してましたが 不景気とともに断念。。。(笑

かわりにお互いの顔が見える、たかはしさんのところでお世話になっている。


自然農は有機とはちがいます。 耕さない、いっさいの肥料も施さない。ありのままの大地のちから。

ほんとに野放しで本来の生命力をいっぱいに広げて 小さくともたくましく育った、

かわいい野菜や野草が送られてきます。 というか、野菜というよりもはや野草。

小さくって不ぞろいで、泥だらけ。 でも味がびっくりするくらい濃い。


咲KURAちゃんちで食べた、たかはしさんの小松菜は、

おひたしだけど胡麻和え?とおもったくらい、葉っぱだけでコクと甘みが。

ときには娘さんと散歩中に摘んだ桑の実やキノコ

アカシアの花(天ぷらにする)なんて嬉しいサプライズも入ってます。


2月の中ごろにたかはしさんからメールがきました。


時節柄、土が凍ってニンジンなど収穫できません。

定期便用に備蓄していた根菜類も今回で終わりです。

雪をほって、わずかばかりほうれん草が採れました。

野菜の確保が難しいので、次回はお休みさせてください、ごめんなさい。

今回も品数が十分でないので、値引きさせて頂きます。


そんな感じだったと思います。 冬場、そういうことはよくあります。


そのたび思います。

スーパーでは季節を問わず野菜が当たり前に買える。 あることが当たり前と思っている。

でもほんとうは農産物も海産物、畜産物もぜんぶ自然の恵み。

めぐる季節に育てられた命をいただくものなんだ。。。

野菜が少なくなるたびそんなことを思い出させてくれるのです。

だからこそ、ありがたく思うのですねー。


たかはしさんにもそんな思いを返信して、安心してくださったようです。


冬の間は備蓄した根菜類のほか、自家製ミソ、青大豆や小豆、きな粉

そういったものがメインのラインナップになります。

昔の人もきっとこうやって、厳しく食べ物の少ない冬を

知恵と工夫で過ごしていたのかなと思って、畏敬と感謝の念しきり。


今日はぐんと春らしいメンツが賑やかに届きました。

セリ、カンゾウ、ノビルといった野草、原木しいたけ、 ネギ、ニラ、ミニキャベツ、などなど。

さっそくセリはサラダに、原木しいたけをバターソテーに。

春がきた喜びを、おなか一杯に!

明日はニラ玉、ミニキャベツはスープかな。


いつか農園に遊びにいくのが目標。

おみえちゃんのコンサートにいってきました。

ワンデイリトリートと名づけた自分のための一日。
車や家にメンテナンスが必要なように、時には自分を休めて手入れする。
そんなおみえちゃんの想いから送られる一日は、
昼の部は懐かしい墨汁の薫りに包まれた、わいわい習字。
夜の部は、キャンドルの明かりの中で、昔誰もがおけいこしていたような
やさしいピアノ曲たちとともに過ごすくらやみカフェ。
みんな10歳の頃にかえって、ゆっくり自分と向き合う時間。

わたしは夜の部のみ参加。

今回のくらやみカフェは特別。
キャンドルホルダー作家のカージーさんが、カフェの空間を
絵本のような光と影のゆらめく世界にしてしまった!!!
なんということでしょう!!!


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(これはメリーゴーラウンド。上昇気流で小鳥がまわります)

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とても繊細な光の漏れるキャンドルホルダーたち。
なんと、、、すべて空き缶から出来ています。

なんの変哲もない空き缶が。。。空き缶がぁ。。。
なんということでしょう!!!!!

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見ほれてしまいます。
写真では表現しきれない光と影の物語。
うう、伝えたい。写真がへたすぎる~!


以前おみえちゃん宅でカージーさんの作品に一目ぼれしたわたくし。
この日、きっと何か欲しくなるはずだとおもい、
ドラッグストアでの買い物を思いとどまりおもむいたのでした。

予感は的中、ご予算もドラッグストアでサイフの紐を締めたおかげでぴったり!
選んだひとつをうちへお迎えいたしました。


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ここのところ家にいるときはキャンドルをつけるのが習慣になっています。
あたらしいアイテムが来てくれてより豊かになりました。


おみえちゃんの手作りソイ(大豆)キャンドルがシトラスの薫りとともに。
炎をみながらぼんやり思います。

ただの空き缶が、こんなにも美しい。。。
高価なもの、きらびやかなものではない日常の中に、
こんなにもささやかで贅沢な美しさが、ある。

わたしたちはもう、十分に持っている。


そういうことを気づかせてくれました。

果たして、つくったカージーさんはきっとそんなこと考えてはいません。
ただただ、こんなふうにしたらきれいかな、とか
ここに穴を開けたらどうかな、とか考えていると思います。

『何か足りないと思ってこの周りにこの点々つけたらね、
 これがめっちゃよかったんですよ!』

そんなふうにウレシそうに話してくださりました。
そういうところがいいんだと思いました。


わたしは天邪鬼ですので、へんにメッセージを感じてしまうと
うるさいなと思ってしまいます。
託されたメッセージがうるさいのです。

音は音であること
絵は絵であること
作品は作品であること
花は花、空は空、風は風であるように

ただただ、それだけで美しいんだと思います。
おみえちゃんのピアノも、カージーさんの作品と演出も
そんなシンプルな美しさにあふれていたように思います。


よかったよかった。

いろんな情報が錯綜してますが、情報と感情というのは別に扱わないといけないんじゃないかなと思う。

twitterのタイムラインなどを見てても、そのへんがごっちゃになってて混乱の極みの様相。。。

情報はとても必要なものであるし、それ自体に良い悪いということはない。

要するに受け手の問題だと思います。



不安をあおるような情報はやめて!!!

もっと前向きになる情報を!!



という書き込みも目にするんだけど、正確な状況を把握したうえで

前向きになるということこそが必要であって、

それが「不安材料からは目をそらしていいことだけを見よう」という意味であるならば、

ちょっと偏るんじゃないかなぁ。

私の場合は、たとえ深刻な事態であろうとも、包み隠さず正確な情報を得たことで、

むしろなにもわからないという不安はなくなった。

最悪のシナリオの場合はどうなるのかというリミッターラインを知ることで、漠然とした不安は消える。

そのうえでなお、希望を持って信じるのは完全に自分の選択であり、自由。

知ったからといって解決するわけではないけれど、知ることは大切と思う。

知らぬが仏、ともいいますが(笑)

公の発表をする人たちとしても、やはり受け手の捉え方の危険性を考えると

慎重にならざるを得ない立場はとてもよく解ります。

そういう配慮も功を奏したのか、これだけの状況で平静を保ってる日本人はすごいと思うと

外国の友達はいっていました。それはほんとうにそうだなと思いました。


ただ、慎重になるあまり、もし悪い目が出てしまったときに、

「あの時もっときちんと情報を伝えていれば。。。」
ということにはならないでほしい。


このためには受け手側にニュートラルに受け止めるバランス感覚が問われる。

そういった前提のもと、発信者受信者がお互い信頼関係をもつことで、

より包み隠さない正しい情報が伝達されるといいなと思います。



苛立つ状況があるんでなく、苛立つ自分がいるだけ。
焦る状況があるんでなく、焦る自分がいるだけ。
不安になる状況があるんでなく、不安になる自分がいるだけ。


そういうふうにみんなが思って、たいへんな状況ではあるけれど、

出来る限り平穏に取捨選択していけたらいいなと思います。



友達が紹介してくれたtwitterリテラシーの記事。
簡潔でわかりやすい。ご一読の価値ありです。
http://t.hash.bz/archives/2732907.html



くわえて書きますが、感情的に情報を錯綜させているのは、おそらくほとんどが

被災地の外側のひとたちではないかな。

どうにか力になりたい優しい気持ち、いてもたってもいられない思いやりがそうさせているんでしょう。


いま被災地のそとから客観的に見ることが出来る人間が、きちんと性格に状況を把握して

冷静でいることが、あらゆることの助けになる気がします。


これは被災地だけに起こったことではなく、私たちみんなに起こったことで、

一緒に乗り越えないといけないんですから。。。