イハカさん   | nogaのブログ

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我々日本人の意識改革を目指しています。

Hint-Pot   >「英語はツールとして考えて欲しい」 ニュージーランド人が日本の英語教育に不思議顔 その理由とは     >Hint-Pot の意見・   >3時間・   

>多くの外国人が日本を訪れ、街中で見かけない日はほぼありません。   

>国際化が進んでおり、日本では2020年度から小学校での英語教育が必修化されています。   

2年前に来日し、日本の生活に慣れた英語教師のニュージーランド人男性は、日本人の英語に対する意識について疑問を抱いたようです。   

>いったい、どうしてなのでしょうか。   

>◇ ◇   

>日本で2年間生活 コンビニは「欠かせない」存在に   

>ニュージーランド最大の都市・オークランドから2年前に日本へやってきたイハカさん。   

>学生時代に日本語や日本文化を学んだことから日本に興味を持ち、現在は長野県松本市で英語教師として働いています。   

>日本での生活はすっかり板についているようで、街のあちこちにあるコンビニエンスストアは、イハカさんにとって「日本での生活に欠かせない」存在になっています。   

>「職場へ向かうまでにコンビニで必ずゼリー飲料を買って、飲んでから仕事へ行くのが日課です。   

>このようなものは、ニュージーランドにはないと思いますよ。   

 

日本にコンビニがニュージーランドに進出したら成功しますね。   

 

>少なくとも私がいた数年前にはありませんでした」   

>日本で英語は勉強の域を出ない 「ツールとして考えてほしい」   

>栄養をしっかり補給したうえで、イハカさんが注力しているのは英語を教えること。   

>主に子どもたちに英語を教えているそうですが、不思議に感じることがあるといいます。   

>「英語を使って将来、世界に出ていこうとか、旅行したいなどと思っている子どもが少ないな……というところです。   

 

そうですね。日本人には意思が無い。夢も希望も無い。

日本語文法には時制 (tense) というものが無く、未来の内容は文として日本人の脳裏に定着しませんね。だから、来年の事を言えば鬼が笑うのです。      

 

>日本での英語は、受験や試験勉強の側面が強いのかもしれません。   

 

そうですね。わが国の教育は序列競争の手段になっていますね。教育の振興は序列メンタリィティを刺激することにより盛んに行われていますね。偉い人 (序列順位の高い人) になることが目標ですね。だが、真の実力とは関係がない。優秀な学生でも英語が喋れない。          

 

>両親が英語を話せないから、習わせているというご家庭もあります」   

 

そうですね。見栄と外聞もありますね。   

 

>イハカさん自身は、学生時代に日本語を学んだり日本文化に触れたりしたことで、日本で生活する機会を得られたと胸を張ります。   

>そうした経験を持つからこそ、日本では英語が実用的に使われるのではなく、教科のひとつとしてとらえられがちな点に警鐘を鳴らしました。   

 

日本人は外国の影響を受けないように子供を教育していますね。日本文には外来語のつづり字も出て来ません。   

 

>世界的な語学学校運営企業による2023年の調査で、英語を母国語としない国・地域での「英語能力指数」ランキングにおいて、日本は87位。   

>若い世代の英語力低下が目立っているといいます。   

 

残念なことですね。日本人の頭の悪さですかね。      

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。  

 

>「英語はツールとして考えてほしいなと思います。   

 

我が国では英語教育は人間序列形成のツールになっていますね。  

 

>英語ができれば、行きたいと思った国に行けるかもしれない、話したいと思った人と話せるかもしれないですからね」   

 

そうですね。   

 

>英語の話者人口は世界で15億人を超えるとされ、日本語の12000万人をはるかに上回ります。   

>英語というツールを手に入れるだけで、それだけ多くの人とのコミュニケーションが可能になり、世界が広がることにもつながります。   

 

そうですね。人類の知識の半分は英語で書かれた書物の中に蓄えられていますからね。英語を覚えると知識の山に近づく事が出来ますね。       

 

>「ここの暮らしは私に合っている気がします」というイハカさん。   

>多くの子どもたちに英語を教えて、子どもたちの世界を広げてあげてほしいですね。   

 

そうですね。我々は広く知識を世界に求めるべきですね。   

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。公文書のフリガナ欄を振りローマ字らんに変えるだけでも、それ相当の進歩になりますね。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)