玉木雄一郎氏   | nogaのブログ

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J-CASTニュース   >「どういう教育や経験をすると、今仰っておられるような思考になるのか」 国民・玉木代表、改憲発議めぐる反応に不快感   >J-CASTニュースによるストーリー・   >3時間・   

>国民民主党代表の玉木雄一郎氏が2024530日に行ったX投稿が、波紋を広げている。   

>「差し支えなければ年齢と性別を教えていただけますか」   

>玉木氏は30日、「本日をもって、岸田総理の今年9月の総裁任期中の改憲発議は事実上不可能となりました。   

>危機に対応できる統治機構づくりを急ぐべきとの信念に基づき取り組んできましたが残念です」と憲法審査会での自身の主張をXにまとめた。   

>この投稿は「緊急事態における国会機能維持を可能とする憲法改正」について訴えたもので、「『長期にわたって』『選挙の一体性が害されるほど広範に』選挙が困難な事態、すなわち、選挙困難事態に備えて、選挙期日の延期とその間の議員任期の延長ができる規定を憲法に設ける必要がある」として、改憲発議が「時間切れ」となったことについて、「自民党にはもっとしっかりやってもらいたい。   

>スケジュールも戦略も曖昧のまま」と不満をつづった。   

>こうした中、玉木氏の投稿に「戦争なんか絶対にさせません」などとする引用投稿が寄せられた。   

>すると、玉木氏は「差し支えなければ年齢と性別を教えていただけますか。   

>どういう教育や経験をすると、今仰っておられるような思考になるのか興味があるので。   

>先の大戦を実際に体験された方なら、仰っていることも理解はできます。   

>しかし、憲法審査会でも戦争のお準備の議論はしていないので安心してください」(原文ママ)と返信。   

>この返信に、他のユーザーからは「実際に戦場を経験しないと戦争反対と言ってはいかんのか?」「年齢も大戦の経験も関係ないと思いますがね」など疑問の声が寄せられた。   

 

そうですね。危険は関係ないですね。洞察力の問題ですね。         

 

>「発言に圧力をかけたと捉えられた方もいて、それは真意ではない」   

 

意見交換は盛んにすべきですね。   

 

>玉木氏は31日、一連の投稿の真意についてXで弁明している。   

(以下引用)   

>「直前の憲法審査会で、(毎回なのですが)私が発言するとヤジのようなものを発し、逆に、護憲派の議員さんが発言すると拍手をされる高齢の方々がいます。   

>ルール違反なので衛士さんがいつも制止するのですが聞いていただけません」   

(以上引用)   

>こうした状況について、玉木氏は「長い人生経験を積んでこられた先輩方が、あえて決められたルールを破ってまで発言される背景に何があるのか」と疑問を持っていたという。   

 

きっと彼らにはリーズン (理性・理由・適当) がないのでしょうね。アンリーズナブルでは説明責任はとれませんね。   

 

>そして、国民民主党が求めている憲法改正について改めて説明し、「私たちの案は大規模災害時に議員任期を延長するなど国会機能を維持しようとする中身なのにもかかわらず、『改憲=9条改憲=戦争』いう発想で発言される方が、どのような体験や考え方を経て、そうした心情に至ったのか知りたくて質問した次第です」とした。   

 

『改憲=9条改憲=戦争』は戦後の洗脳による効果でしょうね。他人の受け売りとその後追いの成れの果てでしょうね。      

 

>「発言に圧力をかけたと捉えられた方もいて、それは真意ではない」ため、投稿はのちに削除する予定だという。   

 

ルール違反の発言には圧力が必要ですね。   

 

>玉木氏の釈明には、「傍聴人は出禁とか出来ないのですか? インターネットの中継見てても聞こえるので相当ですよ」「野次をあげて興奮させて、失言させるのが目的なんでしょうね」などの声が寄せられている。   

 

我が国には社会の木鐸 (ぼくたく世の人を教え導く人) が必要である。わが国のジャーナリストはその要請に応える必要がある。事実の山と木鐸不在だけがあったのではわが国は立つ瀬なし。‘それがどうした’‘それでどうした’の問いに答えが出せない。我々には絶望の未来が待っている。今こそ我が国民の自覚すべき時である。      

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)   

 

悪質な傍聴人ですね。議論が出来ないので野次を発するのでしょうね。玉木代表の不快感は当然ですね。          

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

 

非現実 (考え) の内容は、英文法の時制 (tense) のある文章により表される。   

過去の世界の内容は過去時制の文と過去完了時制の文により言い表される。  

現在の世界の内容は現在時制の文と現在完了時制の文により言い表される。 

未来の世界の内容は未来時制の文と未来完了時制の文により言い表される。 

 

非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観 (world view)と言われている。これらの三世界の内容は時制により構文がそれぞれ異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。これは日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。これは政治に必要である。日本人の場合は、無哲学・能天気にためにノンポリ・政治音痴になっている。これでは冴えた政治は行われない。

 

‘我々は何処から来たのか。’ ‘我々は何者か。’ ‘我々はどこに行くのか。’ などの哲学的命題にわれわれが自分自身の答えを出せるようにするとうまく行くでしょうね。    

我々と同じアジア人であってもインド人は印欧語族 (Indo-European) であるから、前世・現世・来世の非現実の独立した三世界の内容を自分自身で持っている。インド教の聖地で人々が瞑想に耽る姿は珍しいものではない。   

 

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。現実対現実の比較によれば全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

 

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人にはあるべき姿に基づく批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

 

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' の結論がある。罪のない者はいない。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに言語能力の発達する頃を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文に表現する訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得させようとする仕組みである。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

日本語は現実の内容だけを表す言語である。哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本式の判断だと、見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実ばかりの言葉 (日本語) を話す人が非現実の内容を語る学習をすると常に失敗する。嘘(きれいごと) ばかりを語っていては学習に力が入らない。だから思考停止になっている。それで日本人は相変わらず無哲学・能天気の民となっている。わが国の有権者はあらかた高等教育の真価を体得していない。だから高等教育の無償化は国民の総意が得られない。わが国は英米流の高等教育の導入に失敗し続けているので、何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する親はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制の下にある。個人の哲学が相手を引き付けて人々の尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。彼等の出世は高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまもなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。これは日本語文法に階称 (hierarchy) がある為である。’上と見るか・下と見るか’ の判断に囚われざるを得ない。 難関出身者が序列社会でどれほど優位に立つているかの話ばかりで持切りである。それで入試地獄が起こる。世界に関する注意力の不足で日本人は井の中の蛙になっている。国際社会で印欧語族の知識人を相手にして苦戦を強いられることになる。 

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)