>現代ビジネス >自民党がいよいよ窮地へ、、、ナンバー2・茂木幹事長がついに口にした「驚愕のひとこと」 >宮原健太によるストーリー・ >18時間
>茂木は饒舌に話し始めた
>自民党は4月4日、裏金問題に関わった国会議員39人の処分を実施した。
>岸田文雄首相としては、処分によって裏金問題に区切りをつけ、4月28日に行われる補選に勝利し、今国会中の解散を模索したい模様だ。
>しかし、そんな岸田首相の、自分の都合をあまりに優先する姿に対して、自民党ナンバー2からも見限るような声が挙がっているという。
>「岸田じゃ選挙は戦えない。
>6月に解散なんてしたら、政権交代までいかなくても、自公で過半数割れする」
>3月31日夜、そのように打ち明けたのは自民党ナンバー2である茂木敏充幹事長その人だ。
>この日、茂木氏は「政治刷新車座対話」というイベントのため千葉市や市川市を行脚。
>その後、都内に戻った後、周囲に饒舌に話し始めたという。
>この日の少し前、同月の26、27日には、安倍派幹部の処分を決めるため、茂木氏のほか、岸田首相、森山裕総務会長がホテルニューオータニで、安倍派座長を務めていた塩谷立氏、参院グループ会長を務めていた世耕弘成氏、事務総長を務めていた下村博文氏、西村康稔氏の聴取を実施していた。
>そのときの様子についても茂木氏は「(安倍派幹部4人は)みんな自分のせいじゃないと言っていた。
日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。責任感なぞさらさらない。。
‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
>誰も責任を取らない組織はダメだね」と喝破。
そうですね。たとえば、
【英対する開戦の詔勅】
洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ
まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。
開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。
一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。
>さらに、共に聴取をした岸田首相や森山氏についても「2人は聞き取りをしながらメモを取っていたが、俺は全部言われた内容を覚えているからメモを取らなかった」などと軽口をたたいたと言う。
>すでに幹事長ですら岸田首相を見限っていることがよくわかる発言だ。
政治には未来の先取りが必要である。しかし彼らには未来社会に建設に尽力している姿がみられない。
>解散はいつか
>一方、首相に近しい官邸関係者は「岸田首相は6月に解散するつもりだ」と周辺に話し、緊張感を高めている。
>岸田首相は9月に自民党総裁としての任期満了を迎え、現在の低支持率のままでは、党内で総理総裁の座から引きずり降ろされる可能性もある。
>そうなる前に自身の手で衆議院を解散し、総選挙に打って出ようということだ。
>永田町関係者は語る。
>「茂木幹事長が言うように、多くの自民党議員は『今のような状況で解散したら大変なことになる』と考えている。
>ただ、岸田首相は急に自身が率いてきた宏池会を解散するなど、何をしでかすか分からない。
>本来ならば信頼しなければならない党のトップへの不信感は、自民党内でどんどん高まりつつある」
日本人について ‘うん、頭はいい。しかし、信頼できるかね’(フランク・ギブニー)
‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
>また、裏金議員39人を処分する一方、岸田首相本人への処分は行われなかった。
>岸田派でも裏金問題が発覚し、会計責任者が政治資金規正法違反に問われているにもかかわらず、派閥のトップとして責任を取らなかったことに、自民党内では不平不満が渦巻いている。
それはそうですね。派閥争いですね。相変わらず料簡が狭いですね。彼らは同じ泥船に乗っているのですね。
>今国会中の解散を模索する上で、岸田首相が何としても勝利を収めたいと考えているのが4月28日に実施される島根1区補選だ。
>同時期に行われる長崎3区補選、東京15区補選は政治とカネの問題による大逆風を受けて、独自候補の擁立はできなかったが、島根1区は亡き細田博之前衆院議長のお膝元。
>逆境を乗り越えて勝利しなければならないと意気込んでいる。
>ただ、その細田氏も裏金キックバックが大問題になった清和会で会長を務めていた人物だ。
同じ穴の狢ですね。
>永田町関係者は「裏金問題と補欠選挙を切り離すのは不可能だ。
>立憲候補が元衆院議員であることもあって、かなりの苦戦が予想される」と話す。
>補選に向けて一枚岩にならなければならない自民党。
>しかし、総理総裁続投のために躍起になる岸田首相と、そんな首相にすでに呆れている幹事長、そして処分を受けて怒り心頭の安倍派議員など、もはや空中分解しそうな情勢となっている。
そうですね。悪党どもは空中分解するとよいですね。
それでどうした。我が国には社会の木鐸 (ぼくたく: 世の人を教え導く人) が必要である。わが国のジャーナリストはその要請に応えることができるであろうか。事実の山と木鐸不在では立つ瀬なし。‘それがどうした’‘それでどうした’の問いに答えが出せない。我々には絶望の未来が待っている。今こそわが国民は自覚すべき時である。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)
マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。
‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)
マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。