徳成旨亮氏 堀内勉氏   | nogaのブログ

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我々日本人の意識改革を目指しています。

>ダイヤモンド・オンライン   >イギリスが日本と比べて国際社会で圧倒的に存在感が高いのはなぜか   >徳成旨亮、堀内勉によるストーリー   >・1日   

>日本経済復活およびビジネスパーソン個人の成長の秘訣を示した『CFO思考』が、スタートアップ業界やJTCと呼ばれる大企業のビジネスパーソンを中心に話題となっている。   

>533000部(電子書籍込み)を突破し、メディアにも続々取り上げられている話題の本だ。   

>本書の発刊を記念して、著者の徳成旨亮氏と、多摩大学大学院教授の堀内勉氏の対談が実現。   

 

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>ルールの面でもリスクの取り方でも イギリスは「賢すぎる」   

>徳成 富の蓄積でいうと、まずイギリスがすごいのは堀内さんが言うように膨大なアセットを、世界中に持っている。   

>ケイマンやバミューダなどの租税回避地の多くは、実は英国王室属領か英国海外領土です。   

>さらに、英語が事実上、世界標準語になっている。   

>お隣の韓国や台湾の方々とも僕は英語で会話しています。   

 

そうですね。英語は便利な言語ですね。   

 

> 金融取引といったいろんなビジネスにおいても、英国法がグローバルな契約におけるガバナンス・ロー(準拠法)であることが多いんですよね。   

>いろんな意味で英国はうまく世界を統治している。    

> テストを受ければ必ず日本人のほうが平均点は高いんだけど、それとは賢さの質が違うごく少数の英国人たちがいる、というのをロンドン駐在時代に感じました。   

 

賢い人は国の宝ですね。国が無くなると昔のユダヤ人か今のクルド人のようになるのでしょう。    

 

>堀内 とにかく色々な面で資産が違う。   

>徳成 アニマルスピリッツの話に戻りますと、彼らはそういう巨大な資産を持っていますから、当然それを運用するのですが、そのとき分散投資をします。   

>いろいろなアイディアを持っている人たちに少しずつお金を渡して運用させる。   

>お金の出し手、つまり金主をアセット・オーナー、運用者をアセット・マネージャーと言います。   

> 少しずつと言ったって、もとが大きいからけっこうな額なんですけど、それを元手にアイディアがビジネスの形となり、新しい利益の源泉になっていくわけです。   

> それで、その金主たちと言いますか、お金を運用している人たちもたくさんいるから、ニーズの種類も幅広いんですね。   

>投資期間も短い人もいれば長い人もいるなどさまざま。   

>「こういうふうに運用してほしい」というリクエストがいろいろなので、アセット・マネージャーもいろいろなタイプが育つんです。   

>そこが日本とは決定的に違う、というのがあります。   

> 資本主義の厚みが違う、と私が最初に申し上げたのはそういうことで。   

>富の蓄積ももちろん違うけど、それゆえいろんな運用ニーズを持った人たちがいて、いろんなリスクを取っていいよという土壌もあるから、いろんなアセット・マネージャー、すなわち、資産運用会社やファンド・マネージャーが育ちやすい。

> 加えて前回の記事で申し上げたように、ルールメイキングみたいなところでも、うまく自分たちのビジネスが運びやすいような土壌が知らず知らず作られている。   

>堀内 要するに、我々はそういうところで戦っていかなければならない、ということですよね。   

>徳成 そうなんです。   

>日本の金融機関の役員が国際的な場で議論するとなったとき、交渉テーブルの反対側にはゴールドマン・サックスだとかシティバンクだとか、年収十億みたいな連中がいる。   

>こっちはせいぜい数千万円だから、ケタが違うわけですよ。   

>それでも対等に議論をしなければいけないし、下手な英語でも頑張って主張し、戦っていかなければならない。   

> そこで僕なんかは日本人の気概みたいなものが突然芽生えるわけですよ。   

>この立場にある以上は頑張らなきゃと。   

>そうやって戦っていくことを、1人でも2人でもいいから若い人に頑張って目指してもらわないと、日本国が成り立たない。   

>そんな思いも込めて、本を書いたところもあるんですけど。   

> だからまずは海外に出てみてほしいし、そういう世界があるんだってことを知ってもらいたい。   

>見てみないことにはわからないと思うので。   

>それで、こういう世界で日本はどうやって国として頑張っていけばいいんだろう、ということを真面目に考えてほしいんですよね。   

>内側に縮こまっていちゃダメで、自分をどんどん外に出ていかないと。   

 

日本人は序列人間。序列社会の居心地の良さが忘れられませんからね。   

 

> それもアニマルスピリッツだと思うんですよね。   

>たしかにじっとしているほうがラクに決まっているんですけど、能力がある人はその能力を生かさなきゃダメです。   

>それは天から与えられたものなんだから社会のために生かさなきゃ、というのが僕の考え方でもあるんですよね。   

 

>日本はルールのわからないゲームを無理やりやらされてきた   

>堀内 今の話を引き継ぐと、日本だけがどのようなルールでゲームを戦っているのか知らない、という側面があります。   

>経営共創基盤(IGPI)グループ会長で、経済同友会副代表幹事なども務めた冨山和彦氏は、よく「野球からサッカーにゲームが変わったのに、日本の経営者はまだサッカー場で野球をやろうとしている」と言われていて、私も本当にそうだなと感じます。   

> 日本はなぜ太平洋戦争であれほど無謀な戦いをし、多くの国土を焼かれ、戦後どのような環境に置かれてきたのか。   

>自分たちが何をやってきたのかということを理解しなければ、アングロサクソンやユダヤ系、台頭してきた中国といった人たちがルールの枠組を作って動かしている世界に、ただ乗っかることしかできないということになります。   

 

そうですね。   

 

> もしくは相手のルールに単純に巻き込まれて、「できた」「できなかった」と一喜一憂するだけになる。   

>そうやって、相手の土俵で戦っている限り、勝てるわけもないです。   

 

日本人には自主性がありませんね。  

 

>苦しんだわりには報いは少ない、ということになってしまうだけです。

> ですから、自分は今どのような場に置かれて、何のゲームをどのようなルールで戦っているのか、それぐらいは理解しなければいけないと思うんですよね。   

>徳成 一度、自分たちの立ち位置を俯瞰してみること、メタ思考が重要ですよね。   

>堀内 若い人たちには、理由は何でもいいからとにかく海外に行け、と言っていまして。   

>とにかく外の世界を見てこないと自分が何者かわからないですから。   

> 私はちょうど読書に関する本『人生を変える読書』を出したところなのですが、その中でもその点を強調しています。   

>自分がどのような視座を持っていて、どのような思考の枠組みにとらわれて世の中を見ているのか、それはその思考をずらしてみないことにはわからないんですよと。   

 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)       

 

> 横から見たり、上から見たらどのように見えるのか。   

>うまく自分の思考自体をずらして別の角度から見てみる。   

>そうしたメタな思考をすることが教養だと思うのです。   

>それを身に着けないと。   

> ずっとコツコツ真面目に同じことをやるのも人生ですが、メタ思考がないと、気付けばコツコツと人の作ったルールを守っているだけ、というふうになってしまうと思います。   

>それだと最初から勝負に負けているので、まずはそのことに気付いてほしいなと。   

>徳成 日本は昔から天変地異が多いから、どうしてもコツコツ思考になりがちなんですよね。   

>だって一生懸命頑張って作っていたお米が、自然災害で一晩でダメになるとか、当たり前だったから。   

>あと1週間で収穫できる作物が台風で全部やられちゃう、みたいなことを長い間、何回も繰り返してきたから、危機に備えて蓄えておく、という保守的な国民性になったんだと思うんですよ。   

>粘り強く、我慢強くなった。

 

そうですね。日本人にはこれしかない。   

 

> かつ江戸時代に幕藩体制が300年近く続いたから、お上の言うことに従うことにも慣れ過ぎている。   

 

そうですね。日本人には意思がない。だから、指示待ち人間になっている。   

 

>だから人様のルールの下で戦うことに疑問を感じないんでしょうけど、本当は良くないですよね。   

 

そうですね。日本人は思考停止になっている。日本人には現実 (事実) があって、非現実 (考え・哲学) がない。      

 

>堀内 だからといって、ではこのゲームから抜けます、というわけにはいかない。   

>江戸時代の人口はおおむね31003300万人だったと言われています。   

>今は人口が減り始めているといっても12500万人ほどです。   

>それでも江戸時代の4倍ぐらいいるわけです。   

> マルクスは晩年、脱資本主義という視点から循環型経済を唱えていて、マルクス主義研究者の斎藤幸平氏もこれを支持しているのですが、鎖国をしていた江戸時代ならいざ知らず、これだけグローバル化した今の世界で、地域社会の中だけで循環してやっていけるのかと思うわけです。   

> 世界に目を向けると、スペイン風邪の流行によって世界人口の数%が減少したと言われる第一次世界大戦直後は約18億人でした。   

>これが今や、80億人を超えている。   

>4倍以上です。   

> それを循環型社会に戻すとなったとき、ではこの余剰人員をどうすればいいんだ?という話になってきます。   

>地産地消みたいなことができたら一番いいのでしょうが、地球がこれだけの人口を養っていかなければいけない今、すべてを循環型経済とか脱資本主義に戻すというのは、私は現実味がないと思っています。   

> つまり、資本主義というゲームは18世紀ぐらいから始まっていて、我々は知らないうちにそこに参戦しているのです。   

>今さらそこから足抜けができなくなっているということです。   

> そうであるなら、このゲームのルールをどのように持っていったら少しはマシに戦えるのか、私などはそこを一生懸命考えるのですが、少なくともエグゼクティブくらいのレベルの人は、この問題をきちんと理解してくださいね、というのが私の訴えかけていることなのです。   

 

毬蹴りは世界中で行われていた。イギリス人がルールを作ったので国際試合が可能になった。  

日本人がルールを作れば相撲の国際試合も可能になりますね。

為せば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり。上杉鷹山      

 

 

 

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