100点病 4/5   | nogaのブログ

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我々日本人の意識改革を目指しています。

 

>仕事はテストのように答案を完成させる必要はないこと、他人のコメントは私の間違いを指摘するための赤ペンではないことに気付いたのです。  

 

それは良かったですね。下と見られたという感情を刺激されると碌なことにはなりませんからね。   

 

>「そんなの当たり前じゃん」と笑ってしまいますよね。でも、こんなことはありませんか? >・先輩や友達に「私の短所って何だと思う?」と聞くのは勇気がいる  

 

相手は偉そうにと感じるでしょうね。相手の気分を害します。     

 

>・バイトや研究室で、人からアドバイスを受けると何となく否定されたような気持ちになる  

 

下と見られたと感じるからでしょう。   

 

>・サークルやゼミ活動の中で、「自分に任されたことは人に頼らずに完成させたい」と気合いが入る   

 

日本人には意思がない。だから、恣意に気合が入る。自分に意思の無い人は、相手の意思をも認めない。そこで、責任 (responsibility) のない社会の混乱が起こります。事態に対処できる責任者が存在しない。社会の目的が成就されることはない。建設的な内容が得られずに泣き寝入りになる。日本人には諦めが肝心である。  

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)                

 

>これは全て、学生時代の私のことです。>思い当たる節のある人は、知らず知らずの間に「100点病」予備軍になっているかもしれません。>そう、あなたの背後に「100点病」は忍び寄っているのです!  

 

無哲学・能天気でありながら他人から褒められたいの一心ですね。  

 

>君がしくじらないために:今日から「相談」を口癖に!「報告・連絡」は忘れよう  >ギクっとしたあなたが同じしくじりに陥らないために、今から何ができるでしょうか。 >私からのアドバイスは、「相談」を口癖にすることです。 

 

馴れ合いは良くないので気を付ける必要がありますね。‘なあなあ主義’ とは、真の意味での検討や意見の交換などをせず、お互いに「なあ、いいだろう」ぐらいの話し合いで全てを済ませること。   

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>報告・連絡・相談、いわゆる「報連相」のうち、最初の2つは忘れてください。>大切なことなのでもう一度言います。>あなたがすべきことは「相談」です。 

 

自分には考えがないので相手に相談するという姿勢にならないように気をつけましょう。   

 

 

 

 

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