第七百八十一回 税理士業務を考えるブログ~縄文集落跡「三内丸山遺跡」その2~ | ほはば こんな会社です!

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今日のテーマは「縄文集落跡「三内丸山遺跡」その2」

1万年以上にわたる縄文時代はいくつかのステージに分けられます。

定住の開始から集落の成立、施設の多様化、大規模な拠点集落の出現、共同の祭祀場や墓地の開発などを経て定住は成熟し、やがて稲作農耕文化による弥生時代へと移り変わっていきます。

三内丸山遺跡は、こうした縄文時代の中期のもので、青森市中央部の標高約20メートルの河岸段丘上の広大なエリアに広がっています。

魚介などの水産資源が豊富な湾と、クルミなどの落葉広葉樹の森が広がる地域で、こうした自然環境を生かして狩猟、漁労、食物採集をしつつ何世代にもわたって生活していた様子を現代に伝えています。

これまで50種類を超える魚の骨が出土していて、中には体長1メートルを超えるマグロの骨などもありました。

狩猟によって手に入れた動物の骨や角を材料とした「釣り針」や「銛」などで、魚を捕まえていたことがわかっています。

また通常の縄文遺跡でみられるような竪穴建物や倉庫などのほかに、シンボルともなっている3層構造の大型掘立柱建物跡や長さ約30メートル、幅約10メートルもの大型竪穴建物などが確認されていて、少なくとも数百人規模の集落が何世代にもわたり続いたものとみられています。

なお当時の縄文人は、男性の平均身長が1、5メートル、女性は更に10センチほど低く、寿命は30年ほどだったとみられています。
食料は、山菜やキノコ、クリ、クルミなどの植物性のものが中心で、一般的な狩猟のイメージとは少し異なるようです。

現在「三内丸山遺跡」は、ミュージアムショップや縄文人が食べたであろう食材をメニューに取り入れたレストランなども併設された 「縄文時遊館」から入場できます。

前述の3層構造の大型掘立柱建物や大型住居などが復元されていて、縄文の村がリアルに体験できます。

世界的にも珍しい「狩猟、採集による定住社会」を構築し、1万年以上にわたり環境の変化に適応してきた縄文人の思想は、現代の日本文化にも受け継がれていると考えられます。

SDGsに代表される様々な課題を抱える現代に対しても、一つの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。

ほはば飯塚