こんにちは、まるこめです。



初めてのかたはこちらからご覧ください。








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街中がクリスマスづいてきましたね。

意味もなくワクワクするカラーリングです。

人間てどうしてクリスマスが好きなんだろう?

って思うくらい、

飾りつけや音楽をきくだけで

なんだか胸が高鳴ります(^^)








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「大は小を兼ねる!」という理論で

いつも選択をして

生きている人がいます。








「ないよりはあったほうがいい」

「足りないよりは余すくらいがいい」

これはなんだか

いっけん豊かさの象徴のようで

じっくりこの文章を眺めているうちに

寂しさや空虚さが漂うような理論だなぁー

と、最近思うのです。








大は小を、兼ねるのでしょうか。

ないよりは、あったほうがいいですか。

足りないよりは、余すくらいのでしょうか。

本当に?

その感覚を想像するとむしろ

殺伐とした空気感、

ずっとお腹が空いているような

食べても食べてもむなしい感じがするのは

どうしてでしょうか。








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(1枚目の写真との落差、質素感 笑)




私はお蕎麦が大好きでして

お休みの日のお昼なんかに

よくひとりで食べに行くのですが

「天カス取り放題!」

「天ぷら1つサービス!」

「ミニ丼半額!」

みたいのをみると

とても、萎えるのです。

(サービス自体を非難してるわけじゃありませんよ!私が今そうなだけです)







私は、お蕎麦を食べると

心身がスッキリする感じがして好きなのですが

お腹いっぱい食べたいんじゃないのです。

「ちょうど!」より少し足りないくらいで

食べたいのです。

そのほうが体が調子がいいし

気持ちがいいのです。








でも最近、

「これも付けますよ!」

「アレも沢山どうぞ!」

というお店が増えた感じがして

あぁみんな、お得感を求めているんだなぁ

と感じるのです。








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人間は、本当によく出来ていて

でも、よく出来すぎていて

自分の中だけで、いろいろと

一時的にではありますが

補完(補うこと)が出来てしまうんですよね。









だから、もし

「大は小を兼ねる」を

大切に持っているわけではないのに

いつも無意識に

そういう選択をしてしまう人は

自分が本当は何が欲しいのか

どんどん分からなくなるんじゃないかなぁ

と思うのです。

または、それにうっすら気付きたくないから

補完できるもので

一生懸命うめている。

そういう姿が見えるのです。








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(私にとっての最大級の幸せの象徴の一つ、パンの耳かりんとう)



一度、やめてみると

やめてみようとすると

いかに無意識に自分がそれをしていたか

目の当たりにして

ものすごくびっくりします。







出先で

ストッキングが駄目になって買う時

1つしか履かないのに

3足セットのほうが、1つ単価が割安だな

とか。







特にお腹はすいてないけど

ランチセットが15時までだから

お得だから食べとこうかな、とか。






「もうひとつ買うと、送料無料!」

という表示につられて

欲しいか分からないものをポチッたり。







なんでだろう、と思うだけで

お腹に空いた穴がふさがるように思います。

その「なんで」が結局分からなくても

全然いいんです。

なんでかな、必要なかったな、充分だな

そう思うことが増えるにつれ

耳で聞こえるくらい

ミリミリと音をたてて

お腹にあいた穴が塞がっていくのを

何人分も、いくつも

見てきました。









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いいの、いつもなんでも沢山じゃなくても。

気付いてみれば、なんのことはない

ちょうどいいのが一番気持ちがいいのです。













そしてこれと

ゴージャスなものが大好き!な気持ちや

美味しいものが大好き!な気持ちや

時には破裂するくらい食べたい!みたいなのが

同居していたって

全然問題ないのです。










まるこめ