私論暴論 今日は「テレビ放送の日」だからこそ書いておきたいこと | Keigoの開運Laughstyle

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最近、テレビ放送を巡って、原作者が無くなるという悲しい出来事がありました。

今日は「テレビ放送の日」だからこそ私論暴論を綴ります。

 

そもそもテレビで原作の世界観を出すには限界があるということです。

考えてもみてください。

今のテレビドラマのワンクールは3ヶ月ですから長くても12話。

現実的には9話もしくは10話です。

その短い枠に同じ世界観で収めるということは土台無理な相談です。

まして長期連載されている作品であればあるほど異次元的対策が必要になります。

 

そう考えると今回は安易なテレビ局の約束と純粋に自分の作品を愛する原作者との間で、(
出版社を介したこともあって)不幸なすれ違いが重なってしまったとしか言えません。

 

そういったことも踏まえて…

 

このドラマは家族が面白いということで見ていたので、私も付き合いで数話見たことがありました。

その時は原作を読んだこともなく原作の存在さえ知りませんでした。

そういった予備知識のない状態で見ていても面白いと感じました。

ただ…最終回は違和感がありました。

正直言って期待外れでした。

家族とこれで終わりなの?と話したことを覚えています。

そして、今回のことで原作者が脚本を書いていたということがわかりました。

 

餅は餅屋…

 

亡くなった原作者には申し訳ありませんがそういわざるを得ません。

 

軽々しく言ってはならないことだと思いますが、作者にとって作品は子どものようなもの。

とても大切なものであることは想像がつきます。

しかしながら、テレビや映画で実写化する場合はある意味子離れ。

そういった覚悟が必要なのだと思います。

実写という生命を吹き込むことで、どんな成長を遂げるのか。

そういう親としての視点も必要なのではないでしょうか。

 

結果、相乗効果を生んだ作品も数多くあります。

 

いずれにしても作品は一人でつくることはできませんし、世に出した瞬間に見た人の思いに触れ一人歩きしてしまうものです。

(発想アイディアは自分だとしても取材相手、アシスタント、家族…周りの人がいて成り立っている)

 

テレビ局(映画制作会社も)も土台無理なことを安請け合いしないことはもちろんですが、原作者も断腸の思いであるとは思いますが、そういったことをある程度前提にして実写化(アニメ化)の許可をしなければ、今回のような不幸がなくなることはないと私は思います。

 

尊い命のためにも…

 

 

追記

法律や道義の面で放送局を一方的に悪いと言っている声が見受けられるが、私的にはそれはどうかと思う。

そしてそれは何よりも故人の心に寄り添うことにならないと思うのは私だけだろうか。

 

 

 

 

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