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和して同ぜず

頭の中の整理、アウトプットの場として利用さしていただいています。書籍の解釈にはネタバレを含みます。

「笑い」は信仰を回避する。
「笑い」だけは信仰を回避する、と言ってもいいだろう。


「笑い」とは、情緒的作用か身体的作用か、といえば身体的作用である。
胸の奥深くから自然に湧き出る笑いではなく、日々の挨拶のときに使う事務的な笑いに近い。

もし、人間が理性で受け入れられない対象に出くわした場合どうするのか。
つまり、もし、人間が理解できないが納得することはできる対象に出くわした場合どうするのか。

もし、私たちがそれを納得できなければ、残念ながら私たちは「笑う」しかないようだ。
信仰とは理解するものではなく納得するものである。
理性とは納得するものではなく理解するものである。
つまり、信仰と理性は対義語であると同時に相互補完関係にある。

では笑いとはなんだろう。

情緒の発露だろうか。
情緒の隠蔽だろうか。(
微笑みは無表情という表情に違いない。)
情緒の共有だろうか。(いかにも笑いは伝染するのである。
表情筋の緊張だろうか。(あまりにもそっけない。)
身体と情緒の同調だろうか。
社会への反逆だろうか。

はて、笑いの根本は”
処理する”ことではないか。
つまり、笑いの意味の極限は”
処理”という作用ではないか。

誘導尋問じゃないか!と言われれば、返す言葉はない。(
笑いの意味の捨象の過程が短絡しているのは重々承知の上さ。)
私にとってはこの仮説は信仰の対象だが皆さんには理性の対象なのだともいえるかもしれない。

しかし、だからといってこの仮説が打ち崩されることはないのだ。
仮説はあくまで仮説だからである。
笑いの意味が”
処理すること”にあるなら、話は簡単だ。
信仰を処理するにはうってつけと言わざるおえまい。
処理と言っても棚上げに近いネガティブな印象の処理であるから回避というわけだ。
この仮説を笑い飛ばすか、あるいは納得するかは自由である。
ただし、その瞬間この仮説は例証されるのだが。



2012/2/26 



『コードギアス 反逆のルルーシュ』(2006)
『コードギアス 反逆のルルーシュR2』(2008)
『マクロスF』(2008)
『マクロスゼロ』(2002)
『マクロスプラス』(1994)
『ガン×ソード』(2005)
『AKIRA』(1988)
『装甲騎兵ボトムズ』(1983)
『化物語』(2009)
『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)
『とらドラ!』(2008)
『けいおん!』(2009)
『DARKER THAN BLACK -黒の契約者-』(2007)
『DARKER THAN BLACK -流星の双子-』(2009)
『交響詩篇エウレカセブン』(2005)
『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)
『冥王計画ゼオライマー』(1988)
『魔法少女まどか☆マギカ』(2011)
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002)
『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』(2004)
ひぐらしのく頃に』(2006)
ひぐらしのく頃に解』(2007)
とある科学の超電磁砲』(2007)
『とある魔術の禁書目録』(2008)
『THE ビッグオー』(1999)
BLACK LAGOON』(2006)
『カウボーイビバップ』(1988)
『OVERMANキングゲイナー』(2002)
『東のエデン』(2009)
『ぼくらの』(2007)
『ふしぎの海のナディア』(1990)
『トップをねらえ!』(1988)
『機動戦士ガンダム第08MS小隊』(1999)
『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(1999)
『BLOOD+』(2005)
『Steins;Gate』(2011)
『機動警察パトレイバー』(1989)
『銀河英雄伝説』(1988)
『機動戦艦ナデシコ』(1996)
『天元突破グレンラガン』(2007)
『トップをねらえ2!』(2004)

最近のは見ていない。

もし見るべきアニメが抜けてるぞこのアホ、というのがあればご指摘ください。
努力します。

ただし、ちょっとこれからはアニメから身を引きますが。



もしかしたら、エロゲに走るかもしれませんし、そうでないかもしれませんww

日本には実質的な便利を下品と見る考え(日本の幽霊の親分)が古来よりある。
この妖怪的な日本的思考の結び目に当たる伏魔殿が家庭感情という。
女房と女は違うのだ。女房と愛する者は違うのだ。
しかし、この違いを言葉で説明しようとすると、私たちは言葉の不在に狼狽する。

日本的家庭感情の奇妙な歪みは浮世に於いては人情義理という怪物に、離俗の世界に於いてはサビや幽玄やモノノアワレ
(神秘の扉の奥に隠れた、言い難いもの)となる。
モノノアワレとはたいそう不気味だ。ひらがなでなくちゃ我慢ならない。
(「もののあわれ」とは感情の内容ではなく深さを表しているのだ。)

こいつは幽霊の一匹なのだろう。
(ほら、幽霊なんてどこにでもいるのだ。)
ならば、我々日本人は西洋流の学問をして実証精神の型がわかった気になっているだけではないか。
むしろ、その幽霊が合理性に覆いかぶされ、意識の外に追いやられたのではないか。
(その間に幽霊は大幽霊と自ら化しているというのに!)

いや、西洋学問を猿まねして、雰囲気だけは一丁前に、本当の仕事をないがしろにしているに違いない。

両手をポンと叩いて右が鳴ったか左が鳴ったかなどといって、人生の大真理がそんな所に転がっていると思うのかね?


本当の仕事とはなにか。
自分自身というものについて真実突きとめて生きることである。
すなわち、魂の悪戦苦闘ある。
すなわち、終生自らの肉体的な論理によって真実を探求する真の自己破壊である。

2012/2/26