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ねちねちしてないところがいい。伝えたいことをずばっといってのける。
読了日:06月26日 著者:森 鴎外

世相対個人である。資本主義がもたらした個人という概念は矛盾を抱え込んでいる。「食うほうが目的で働くほうが方便なら、食いやすいように働き方をあわせていくのが当然であろう。」「もし馬鈴薯が金剛石よりも大切になったら、人間は終わりである。」人間が食うために働いた瞬間、理想と現実は乖離するのだ。だが、働くことを放棄すれば思考停止に陥る。倦怠。意志は発展しないが個人は存在する。これまた矛盾である。これらの矛盾はどちらかが破壊されない限り消えない。世相対個人。あらかじめ勝敗は決していよう。ただし代助のような精神
読了日:06月23日 著者:夏目 漱石

読了日:06月22日 著者:ゴーゴリ

自分より若い時にこんなもん書いてるなんて。もう絶対かなわない。てかおかしいよ。短歌とか詩は自分で書こうとするとどれもキザになって恥ずかしいもの。笑わせる。年齢の問題じゃない。才能の問題なんじゃあないのかい。なんで恥ずかしくなるかというと言葉が貧相だからである。知らない単語は自分から出てきやしない。当たり前である。自ら表現に足かせをはめているようなものだ。しかもこの足かせ一朝一夕にははずれまい。
読了日:06月21日 著者:寺山 修司

批評家あるいは傍観者とは「危ない危ないと言い得る程に、自分は危なくない地位に立って居る」者のことを言う。的を射ている。日常の中で鋭く光る非日常が目につく。平凡だからこそ際立つ。西洋の自己本位が日本に流入することにより「偽善家」は「露悪家」になったと広田先生は言った。ある行為自身それ自体が目的となった。世間体を気にせず個を全面に押し出すことが求められるようになったのである。その変化は特に女性に対して顕著である。「女は月である」時代があったのだ。それに応じて男も対応を考えねばならぬ。三四郎も美穪子も「迷羊」
読了日:06月18日 著者:夏目 漱石

唯物論と観念論の違いに始まり、弁証法の発展の歴史、「対立物の相互浸透」、「量質転換」、「否定の否定」、矛盾について解説がされている。著者の話がうまいためか引用されている、マルクス、エンゲルス、毛沢東、ヘーゲルなどの言葉が頭に入りやすかった。入門書として私が思うに非常に取っ付きやすい。
読了日:06月17日 著者:三浦 つとむ

日本のこと何にも知らないことを目の当たりにした。「古事記」「日本書紀」は是非読みたい。日本史、世界史を身を入れて勉強したことはないのでついてゆくのがやっとであった。またたくさん読みたい本が増えてしまった。だし、キリスト教に関するイエスの叙述は首を傾げるものばかりである。正剛さん本当に来リス地峡勉強したのでしょうか。情報工学か...これってつまり新しい枠組みの創造でしょ。別に新しいことは言っていないが誰にでもわかるよう教えるのがすごい。科学における新しい関係、見方の開拓者とならん。私の密かな野望である。
読了日:06月16日 著者:松岡 正剛

読了日:06月13日 著者:松岡 正剛

読了日:06月10日 著者:安部 公房

人間は思ったより高貴ではない。堕ちるとこまで堕ちよう。
読了日:06月09日 著者:坂口 安吾

「舞姫」におけるどうしようもない悲壮感を小説のうまい構成と雁のたとえにより美しさに転換しようと試みた作品のように思う。また,今回はお玉の気持ちの描写がメインとなっている。妾になることで娘から女へと化けるお玉の心情が丁寧に描かれている。
読了日:06月08日 著者:森 鴎外

今の言葉で言うところの「方言萌え」である。しかし、現代において作中程きつい関西弁を話す人は経験上マイノリティである。これはおそらくテレビのドラマなどの影響が大きいと思われる。このような現状にも関わらず、大阪といえば関西弁と思われているのもまた事実である。これもまたテレビの影響がある。関西弁はキャラ設定に都合がよく、変に強調された関西弁が全国放送されているからである。方言に関して私の思うところは、今の方言は薄っぺらい、ということだ。これは安易に他地方の人間にも伝わることが多いからである。また、
読了日:06月06日 著者:谷崎 潤一郎

「モルグ街の殺人事件」「黄金虫」よりも「落穴と振子」「早すぎる埋葬」「黒猫」が面白い。だからといって推理小説が好きでないということ決してない。なぜ魅了されるのか。それは時間的な普遍性にある。伝えたいことは死の恐怖であったり、人間性の本質であったり。作家は実際に体験したことのないことを書いているであろうから信憑性はないのであろうが、真に迫ると感じるのはその人の力によるのであろう。また、訳者の佐々木直次郎の協力もあって、ポーの作品はその雰囲気を存分に読者に伝えてくれているように思う。
読了日:06月06日 著者:エドガー・アラン・ポー

人類、猿類。違う。男類、女類、猿類。いや女類、男類、猿類か。男と女は身体の構造は当然違うが考え方も全く異なるのだ。それで女類、男類云々。男と女が絡むと「恋」だけで済むことはあるのだろうか。「恋」という綺麗で都合の良い言葉でごまかしているのではないのか。恋とは「一諸に生活できない人やなくなった人に強く引かれて、切なく思うこと。また、そのこころ。特に男女間の思慕の情。恋愛。」(広辞苑)であるらしい。好き、愛する、恋するは同じ感情か否か。英語では愛するに対してlove。キザだ。好きに対してlike。軽率だ。
読了日:06月04日 著者:トゥルゲーネフ

人間には完全に真っ黒な人はいない。それは悪魔です。また完全に真っ白な人はいない。それは天使です。人間は皆グレーである。であるから完全に白、あるいは完全に黒の人間をわれわれは超越者としてしか認識できない。われわれは自らの黒い部分を見えないように努力して生き、「限りなく白に近いグレー」を目指して奮闘している人間を美しいと感じるのだ。これが道徳である。人間が二次元的な生きものである点に関しては新たな視点を提示する。それは人間は多面的な生きものであるというものだ。人は接触する人間ごとに異なる性質を帯びるのだ。
読了日:06月03日 著者:スティーヴンソン

戦後日本を包む雰囲気を「冬の花火」や「春の枯葉」と表現。戦前、戦中と変わることのない大衆によるイズムの形成。軍国主義者が民主主義者に早変わり。原発推進から原発反対に早変わり。そりゃあ、どうも信じられん。季節は巡るが、人間何も変わっちゃいないと思うのも当然である。「時代は少しも変わらないと思う。一種の、あほらしい感じである。」(時代ってつまり人間の歴史のことでしょう?)しかし人間見通しがなけりゃ生きられない。だから僕らは「全く新しい思潮の擡頭を待望する」のだ。(人間てそんなに立派なものなのでしょうか?)
読了日:06月02日 著者:太宰 治
2012年6月の読書メーターまとめ詳細
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