人生に選択を | 和して同ぜず

和して同ぜず

頭の中の整理、アウトプットの場として利用さしていただいています。書籍の解釈にはネタバレを含みます。

人生とは選択の連続だ。
このようなフレーズは巷の自己啓発本に氾濫している。
が、これは当たり前のことを言っているに過ぎないように思う。

例えば、原発問題。
きちんと理解したいと思えば、少なくとも関連書籍にあたる。
ただしこの瞬間我々はあるひとつの視点に属し、それ以外の解釈やデータを相対化し比較検討する。

あるいは宗教。
宗教に救いを求めるなら、星の数程もある宗教団体から我々は選択しなければならない。
宗教団体を選ぶためにはある団体にコミットして教理を学んだ後でないと相対化して他の団体を比較検討できない。


知識をインプットし、脳で処理、身振りや言葉でアウトプット。
我々の認識のひな形である。

現代において、問題となるのは知識のインプットである。

厖大な情報の渦から自分の土台となる情報を嫌でも選択しなければならない。
もし選択しなければ、問題意識は起こらず、「どっちでもいいや」で、はい、終わり。
思考停止になってしまう。

選択しない⇨思考停止
選択をする⇨固定概念の確立

ジレンマ。