こんにちは。内科医 ひとちゃんですニコニコ

ネットニュースで、東京で、桜が開花したと伝えられたのを昨日、知りましたたガーベラ
昨日の朝、いよいよ、春の季節がやってきたのかと空を見上げながら、クリニックに向かいました。

「こんな気持ちで、春を迎えられるのは、
      幸せなことだなぁ」キラキラ

と思うと同時に、クリニック前を小学生の子供たちが、はしゃぎながら、通り過ぎていくのを見ると

  「この子供たちが、大人になる頃、病気というものが制圧され、健康で、健やかな日々を過ごすことができるのかなぁ」!?

などと思ってしまいます。

私が、順天堂大学のリウマチ膠原病内科に入局を
した時、膠原病、特に全身性エリテマトーデス(SLE)の大家である 橋本 博史(はしもと ひろし)
先生が、教授でした(現在は、名誉教授です。)

私は、橋本教授のリウマチ膠原病医局の医局員の第1期生にあたります。
橋本教授から、「何がやりたいのか?」と聞かれ、私は、

「リウマチ膠原病疾患の遺伝子治療が、やりたい」ウインク

と答えました。一笑に付されると思いましたが、以外にも、橋本教授は、

「頑張りなさい。」

と励ましてくださいましたOK

20年以上前の話です。その頃、ヒトのDNAの解析が世界中で、進められており、
さまざまな病気に関連する遺伝子が、いずれ、
解析され、その遺伝子学的な治療法が、開発されるだろうと多くの医師が思っていたのではないかと思いますメラメラ

もちろん、リウマチ膠原病疾患だけでなく
肝臓の病気や腎臓の病気、癌などもですメラメラ

大学の外来で、多くのリウマチ膠原病に苦しむ患者さんに

そして、入院中の患者さんに

「もう、少しだけ、頑張ってください。
         今、原因遺伝子を探しているから。」目

とか、

「どうも、ポイントとなるらしい遺伝子を
        見つけたよ。もう、少しだから。」目

などと、関節の痛みや肺の線維化、ステロイドの
副作用に苦しむ方々に言い続けたのです。

「どうか、私の経験を生かし、若い方の治療法を
見つけ出してください。」

と言ってくれた方々もいました。えーん

私も必死で、頑張っては、いたのですが
困難の連続でした。

何度も何度も、基礎実験を繰り返しては、
失敗し、海外の文献を読んでは、それを応用し、
また、新たな実験系を組み立てては、また、
失敗し、
その中で、わずかに前進する
そんな日々でした。

くじけそうになるとリウマチ膠原病内科の橋本教授の次に、
リウマチ膠原病内科の教授になられた
高崎 芳成(たかさき よしなり)先生(現在は、特任教授です。)
が、励ましてくださいました。

「人生 50年。(ならば、迷うな。後陣の敷石となれ。)」

(     )内は、私の意訳ですが、この言葉が口癖でした。

これらの2人の教授は、臨床の現場で、一切の妥協を許さず、
こと、橋本教授に至っては、
リウマチ膠原病内科に入局してから、約10年、
大学の外来をすることを許してくれませんでした。

「頭のてっぺんから、足先まで、すべての医学的な判断と治療法が、身につくまで、外来に
出ては、いけない。」えー

と厳命され、こちらも医学書を買い込み、読み漁る日々もありました。

さて、昔話は、今日は、これくらいに致しましょうか。照れ

実は、今日、クリニックに某紙の
取材がありまして、なぜ、

「レッツメディカルガーデンクリニック東立石」

の院長となったのか?

東洋医学と西洋医学の融合の発想は生まれたのか?

なぜ、痛みにこだわるのか?

などと質問をされ、
遠い昔が、鮮明に蘇った次第です。

そして、20年以上前の桜の咲く季節に
生意気にも
「遺伝子治療で、
         リウマチ膠原病を治してみせる。」キラキラ

と大見得を切った自分が、恥ずかしくもあり、
愚かな若造であったなぁと思ったのです。もやもや

まだまだ、続くのですが、またの機会に。

それでは、またニコニコ

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