虹の5・THE OUTSIDER(アウトサイダー)です。
門の内側なのか外側なのか、多分外側だと思うんだけど、そこに子どもが一人。入れないなー……って感じで中を見ています。門は鉄製だし壁もがっちりしてそう。しかも鍵が……鍵が……かかってないよ?(爆)
アウトサイダー。よそもの。部外者。
中に入る資格がない者。ってな感じで。
小さい子どもなんだけど、服がぶかぶかなのがまたいっそう小さく見えますね。
仕方ないよ、こんな小さいんだから門を開けることも越えることも出来ないよね。ましてや鍵が開いてることに気づくなんて無理だよね。
って思ってないですか。という警告カード。
ウェイト版のペンタクル5番は、体にハンディを背負った人が、教会の窓の下を歩いているカード。足元は雪が降ったように白く、ぼろぼろのケープを纏った人が寒そうにしています。
「損失」「被害を受ける」「ハンディを背負う」「貧困」とまあ結構散々なカード。
禅タロットではあんまりそんな印象は受けません。なんでかなーと思ってたんですが、禅的解釈してみたらなんとなく分かった。
育った環境が悪かったから(育ってきた環境が違うから~♪ と言いそうになる……関係ない)。
周囲の条件が悪いから。
今あれがないから、これをなくしたから。
運が悪いから。
勇気がないから。
ないもの、失ったものを見て、「出来ることがない」と嘆く。
それは、果たして本当にそうだろうか?
「だから、ダメだ」と諦めている人々は、この虹の5番の子どもみたいなものじゃないだろうか。
鍵は開いている。鉄柵は錆びていない。おそらく軽く押せば、そのまま開く。鎖だって長い。この子一人入る程度は開きそうなのに、「開かない」と信じ込んでいる。
逆に、あるということに囚われて思いが及ばないことがある。
衣食住が満たされていて、これ以上言うのは贅沢だ。
自分にはこれさえあればいい。他のものはいらない。
これだけ恵まれていて成功しないのは何かが、あるいは自分が間違っているからだ。
アウトサイダー。資格がない。
何かがあってもなくても、この子どもはそこから中に入ることは出来ない。
資格などいらないのに。
開ければ良いだけなのに。
「求(もと)めよ、さらば與(あた)へられん。尋(たづ)ねよ、さらば見出(みいだ)さん。門(もん)を叩(たた)け、さらば開(ひら)かれん。すべて求(もと)むる者(もの)は得(え)、たづぬる者(もの)は見(み)いだし、門(もん)をたたく者(もの)は開(ひら)かるるなり。」(マタイ傳福音書・第7章7~8節)
文語訳も味があって良い。
禅的解釈と言いながら引用は聖書だな。(笑)
なんというのかな。あるとかないとかにこだわるのをやめて、自分に枷をかけて苦しめるのをやめて、あるもないもひっくるめて受け入れて、ちょっと深呼吸してみましょうか。そうすれば今の自分に一番有効な手段が見つかるんじゃないの。
という感じ。
元のペンタクル5番から、かなり柔らかい警告カードになってるやね。
暗喩されてる状態はあんまり変わらないけどね。(爆)