「沖縄」から連想されるものは、、♪さとうきび畑♪
♪ざわわ、ざわわ、ざわわ、、♪から始まるあの歌。
♪むかし海の向こうからいくさがやってきた、、♪という歌詞、、、
まだ若かりし時にnhkのみんなの歌だったかで、聞いたのが最初。
以来、ずっと心に残っている曲。寺島尚彦の作。
戦後、GHQの協力もあって実現した日本の「プロ野球」。
GHQはアメリカの国技であったプロ野球が戦後日本に普及する事に協力的だった。野球場の使用許可もGHQの合意が無ければ出来なかった。日本の大人も子供もプロ野球に熱中した。赤バットの川上、青バットの大下。
戦後、最初に沖縄で開催されたプロ野球は1961年(昭和36年)5月20日と21日の「西鉄ライオンズvs東映フライヤーズ」。昭和33年に西鉄の奇跡の3連覇があってから3年後という事になる。
球場が今日と同じ、改装前の奥部山野球場だとは知らなかった。今のプロ野球で50年以上前の昭和36年当時と同じ球場で試合やってる球団は、阪神の甲子園球場と改装前の埼玉の大宮球場ぐらいかな。
特に、昭和36年の沖縄はまだアメリカの統治下。パスポートが要る時代。よくやってくれたなあ、、、当時の関係者、、偉い。
その試合のスタメンを見ると、懐かしい名前がずらりです。
東映フライヤーズ:
毒島(後にライオンズでコーチとスカウトやりましたっけ?)
ラドラ・西園寺・張本・吉田・山本八郎、、、
西鉄ライオンズ:
高倉・花井・田中久・豊田・関口・中西・仰木・和田・若生。
ああ、懐かしくて、、あの頃に戻りたい。。
今日の試合中、空を軍用機?みたいなのが飛行して行きましたね。。
沖縄は未だ戦争に巻き込まれている、、”平和の象徴”プロ野球が行われているその空を軍用機が飛んで行く、、、。まあ本土でも、無い光景ではないですけどね。。
沖縄にはまだアメリカ軍の基地が沢山あるんでしょうね。
実際目にしてないので実感は沖縄の人ほどはないですが、私も子供の頃、福岡の東区名香野の道路の向こう側にアメリカの進駐軍基地がありました。よく覚えています。アメリカの兵隊さんからガムを貰った事もある。”サンキュウー”も何も言えなかった、、、まだ10才にもなっていない頃。
大学を出て働き出す前後、今の福岡空港を板付と言ってた頃、ミリタリーの家に英会話を勉強しに行ってた事がある。軍人さん本人じゃなくて、その奥さんに習ってた。小さくて可愛かった女の子、レモミちゃん、、なんで名前覚えてんだろう、、、今はもう50才ぐらいになってる計算になる。。PXにも連れて行ってもらって、何でも色んな物があるんだと、、ビックリしたのを覚えている。基地の中に映画館もあって、そこで映画も観た。但し、当たり前だけど和訳スーパーなしの英語だけなので、全く分からないままだった。最初に”ladies and gentlemen, our national anthem" とアナウンスがあって、全員が起立した光景を覚えている。
沖縄の人々が軍事基地がある事が嫌ならば、本土の方に移転してもらって私は結構なのだけど、、。ここ福岡・博多に来てもらって結構。
余り分散すると非効率的になるのかも知れないけど、来てもらって構わない。ミリタリーの家族と交流して生の英語が身に着く利点もある。
まあ、、今日の沖縄でのプロ野球開催で色々と考えさせられましたけど、戦後の平和の象徴であるプロ野球が今日、沖縄で開催された意義を考え、今後ともより多くの沖縄での試合開催を望みたいと思います。