日野原重明さん死亡、、で思い出すこと | 「ライオンズ・西鉄・大鵬・目玉焼き」

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西鉄ライオンズからの歴史を大切にしたい、小学校時代からの長ーいライオンズファン。ライオンズを中心とした野球談義が好み。
野球を介して社会問題も考える。

 一つは、1970年(昭和45年)3月31日、よど号ハイジャック機に搭乗していた事。ここ福岡の板付空港に長い時間いて、その後韓国から北朝鮮に行く事になるあの日本で初めてのハイジャック事件。

 当時大学生だった自分が福岡の自宅の部屋のラジオでこのニュースを聞き、驚いていた記憶がある。テレビでもずっと中継されていた。

 

 日野原さんは韓国の金浦空港で解放されるが、”一度なくした命が助かったのだから、残りの人生は人の為に生きる”と話されたと聞く。

 

 もう一つ、日野原さんの「聖路加国際病院」で思い出すのは、オウムのあの”サリン事件”があった時に、多くの被害者がこの病院に受け入れられたという事と、

 ずっと以前、1934年(昭和9年)に大リーグ・チームが2度目となる日本遠征で来日した時の「スパイ事件」の舞台になっていたということ。

 

「大戦前夜のベーブ・ルース」という本の中に書いてあった事を思い出してみた。

 

大リーグ一行の選手の一人、「モー・バーグ」という選手が米国政府の指令を受けての行動かどうかは不明だが、その日(11月29日)大宮である試合には参加せず、一人行動した。

 

「聖路加国際病院」で出産した駐日大使の娘さんを見舞うという口実で病院に行ったが、実際はその娘さんの病室には行かず、ひそかに屋上の尖塔に上り、そこから一望できる東京をフィルムに収めた。

 この病院の建物が何故好都合だったかと言うと、1923年の関東大震災で全壊した建物が多く、まだ五階建て以上の建物が無かったため、前年に改築されたこの7階建ての病院の尖塔が東京を全貌するには当時としては最適だったとされる。

 

 モー・バーグという選手がアメリカに帰国後、この時撮影したフィルムを政府に提供したかどうかは不明だが、その後の第二次世界大戦で東京が攻撃を受けた時、参考にされたのは間違いないのではなかろうか。

モー・バーグは死ぬまでその事については明かさなかった為、憶測とされている。

 

「ベーブ・ルース」を大いに歓待し、大いに沸いた1934年の日本でしたけど、それから数年後にはその米国と大戦争を起こす訳ですから、、、プロ野球が平和に行われている今を有り難く思わなければならないと思う訳です。

 

日野原重明さんの「聖路加国際病院」が「野球と戦争と平和」で関わっていたという事ですね。ご冥福を。