メヒア20号一番乗り!ベーブ・ルース写真刺激(記事) | 「ライオンズ・西鉄・大鵬・目玉焼き」

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西鉄ライオンズからの歴史を大切にしたい、小学校時代からの長ーいライオンズファン。ライオンズを中心とした野球談義が好み。
野球を介して社会問題も考える。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160610-00000014-nksports-base

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交流戦ならではの“出会い”があった。
先週末の阪神戦。甲子園の通路に飾られたベーブ・ルースのモノクロ写真に見入った。
「偉大なルースが日本でプレーした。素晴らしいことだ。
自分はルースにはなれないけど、頑張るよ」と気持ちを入れ、本拠地に戻ってきた。
巨人戦の交流戦勝ち越しは、日本一になった08年以来の吉兆。
田辺監督は「盗塁は、あのタイミングしかない。ホームランは押せ押せ。(直前の)栗山の死球で、燃えるものがあったのでは」と、ルースと同じクラシックスタイルの助っ人に感謝した。

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日本のプロ野球が出来た頃に興味があって、幾つか本を読んでいますが、今は「大戦前夜のベーブ・ルース」という本を読んでいるところでした。アメリカ人が書いたものですから、日本の本では記述されていない部分もあって、非常に貴重なものです。

この、「甲子園球場にベーブ・ルースの写真」があるというところに”じ~ん”と来ました。

大リーグ選抜が、1934年(昭和9年)にアジア遠征ツアーで日本に来て、18試合しました。
甲子園では、11/24, 11/25と2試合です。

この時、広い甲子園を見てルースは、「これだけ大きいとホームランも少なくなるから
試合がつまらなくなる。こんなグラウンドを作った奴はバカだ!」と毒づいたと書いてあります。

当時の甲子園:両翼110M, 中堅120M, 左右中間128M.
当時のヤンキー・スタジアム:両翼 92M, 右中間 107M, 左中間 123M, 中堅149M

ですから、ヤンキー・スタジアムがベーブ・ルースとか、ゲーリッグという左打者にとってホームランの出やすい球場だったと言えますね。

大男のやってる球場が小柄な日本人の球場よりだいぶ狭かったというのですから、ちょっとガッカリですね。

この日本遠征で大リーガー達は沢山のホームランを打ちましたが、甲子園ではゼロでした。

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あの伝説の沢村栄治が静岡の草薙球場で大リーグを僅か1点に抑えたのは、甲子園より前の11/20。1点はゲーリッグのホームランでした。

82年前に甲子園でプレイしたベール・ルースの写真をメヒアが見て気合を入れた、、という記事。よかったです。