久しぶりの投稿です
店主の想いが北海道、埼玉、徳島を繋ぐと、
8月7-12日にスタートを切る徳島へそして続く8/16-19の秩父へ
POPUPSHOPの前に
貴重なアイヌ木綿衣「カパラミプ」展示決定
とプレスリリースの記事を作ってました。
徳島県庁へは郵送での受取は出来ないので、
いつも大変お世話になっている
徳島の藍職人、ボンアームさん代表にお願いしまして、
記者クラブへ代理で配布に行って頂きました。
また、秩父市の記者クラブへは
民芸カフェ木亭さんにこれまたお願いして行って頂きました。
三谷さん、彩子さん本当、お二人ともとても忙しい方なのに
店主の図々しいお願いを聞いてくださりありがとうございます。
快く応援していただける方に頭が下がるばかりです。
そして、ふと
今日、さいたま市と埼玉県庁へプレスリリースをまわって帰ってきて
先日の渋谷スクランブルスクエアでのアイヌ文様と藍の魅力展
で出会ったお客さまのことを思い出しました。
アイヌ木綿衣「カパラミプ」のその手刺繍の文様に引き込まれてくる様々な方々とのお話で
特に印象深かった輪島の黒島町からいらしたご夫婦。
渋谷の地で長年住まわれてお二人は、
第二の移住先を数年かけて探し続けてたと...
移住の地ではカフェ、ゲストハウスを実現するという夢を持ち
たどり着いた魅力ある場所、それが石川県輪島市黒島町だったと。
黒島は江戸から明治にかけて北前船の船主や船員が住む
「天領」として栄えました街
この黒島の集落には黒瓦の屋根が美しい木造家屋や蔵が立ち並び、
2009年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された日本海沿いの輪島市の街なのですと。
わたしは黒島のことを初めて伺いました。
そして、お二人のゲストハウスの近くの若宮八幡神社には
アイヌのイナウが奉納されていると、北前船交易によって伝来したイナウであると教えてくれました。
イナウは、アイヌ民族の祭具で
守護神や供え物としての性格を持っています。
幕末から明治期にかけて、黒島の北前船船主らが北海道やその周辺での交易の際に、
海上交通の安全祈願の一つとして持ち帰ったとされています。
若宮八幡神社に奉納されたイナウをこの目で見たいと漠然とと思ったのですが、
今現在は地震の影響で神社へは行けないと・・・
地震で黒島の被害は街並みも景色も一変と、
美しい集落は変わり果てた姿に。
それでも何故か
私の心に留まったままの「北前船」時代のこと。
北前船のことをそんなに詳しく知らないのですが、調べながら
ふと自分のルーツとなった土地
徳島、祖先のことを想ったのでした。
北前船がきたルート「西廻り航路」
徳島も通って、日本海から蝦夷地へ渡ったのかなと。
当時の日本海の航海はさぞかし危険に満ちていただろうと想像したり
冬の日本海の厳しさを乗り越えた人々の歴史を思い浮かべたり想像してしまいました。
祖先がたどった航路と北前船に心が動かされました。
北前船というのは、実は船のカタチを指すのではないんですね・・・
知らなかった
その商業形態を呼ぶ名称なのだそうです。
北前船とは江戸中期~明治中期にかけて、
他人の商品を運んで運賃を稼ぐ船ではなく、
自己資本で買い入れた商品を他の地へ運んで売りさばき、
その差額を儲ける買積み商船です。
簡単に言うと、船会社と商社を一つにしたようなものです。
当時、北海道、蝦夷地からの積荷はとくに高値で売れて、
一航海千両の儲けと言われました。
春から秋までの一航海で千石船一隻の建造費を稼ぎ出していたのですから、
その経営形態はまさに「宝の船」といった感じと。
蝦夷地という交易地を最大限に利用して、自分で仕事を創っていかなくてはいけません。
このチャレンジ精神と企業家精神が北前船経営の一番すごいところ。
徳島への祖先を想い、
靴下背負ってチャレンジ開拓へと足を運ぶわたし。
一攫千金の北前船経営とは程遠い、赤字垂れ流しなのだけど、これじゃいかんと
体力あるうちにまだまだ靴下行商を続けていきたい
地に足をつける
靴下からグラウディング
足元に意識を向けて多くの方に、転ばない一歩を歩んで欲しい