西洋美術史の中の人間の理想像   | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

人間の理想像は其の美的感覚と密接な関係で結びついている。
其の美的感覚とは“Fashion“(ファッション)の流行と類似していて、常に時代と其の思想並びに精神と共に変動する物であって、時代毎に大きな違いが見られる。


J. van Eyck :Genter Altar  (1432)                       ファン・アイク作、ゲントの祭壇 (1432年)


ヨーロッパの美術史の中で例を挙げれば、Gotik時代(1120~1430年頃)にはキリスト教の教義の元に世の中は神を中心に動いていた故、宗教上の戒律及び規制により人間の裸体の表現は、聖書神話中のキリスト像位に制限されていた。
又、此の時代に於いてヨーロッパ諸国は、当時世界の文明を先駆けていたアラビア等のイスラム教諸国に比べて立ち遅れていた。
医学の学術及び技術も同様に宗教上の戒律及び規制により遅れていた為、人体に関する解剖学的な研究も進んではいなかった。
其れ故に当時の美術の中では、人物は乏しい解剖学的知識によって稚拙で平板な体格に描かれていた。



S.Votticelli:La Naissance de Vénus (1483)
ボッティチェリ作、ヴィーナスの誕生(1483年)

 

A.Dürer:Adam und Eva (1507) 

デューラー作、アダムとイブ(1507年)

 

Palma Vecchio : Ruhende Venus (1520)

ヴェッチオ作、憩えるヴィーナス(1520年)

 

しかし次に到来するRenaissance時代(1430~1600年頃)には『文芸復興』の言葉の如く、時代精神及び思想は宗教による束縛から解放され、此れに代わって人間を中心とした芸術や哲学、其の他の学問、技術が目覚しく発展して行った。
其の上、地理学、物理学及び交通手段の発展により、国際的な交流、交易も盛んになった。
同時に医学も目覚しく発展した事によって、初めてヨーロッパに於いて人体に関する解剖学的研究が進歩して行ったのであった。
此の時代では充実した解剖学的知識により人体は絵画、彫刻に於いて中世時代とは比較にならない程、正確に表現されていた。
又、当時は古代ギリシャ彫刻を手本とした均整の取れた体格が理想として追求されていた為、人体は「8頭身」等の様に実際より理想化して表現されている例が多かった。
又、絵画の理想的な寸法「黄金比」(1:1.6)が定着して行った。
此のイタリアから発祥したRenaissance『文芸復興』によってヨーロッパ諸国は世界の文化、文明両方に於いて頂点に到達したのであった。

 


P.P.Rubens : Das Urteil des Paris (1600-01)

ルーベンス作、パリスの審判(1600~01年)

 

N.Poussin: Le Triomphe de Neptune (1635)

プッサン作、ネプチューンの凱旋(1635年)

 

 Rembrandt Harmensz :  Danae (1636-43)

レンブラント作、ダナエ(1636~43年)

 

Barock時代(1600~1740年頃)には『宮廷』(貴族)と『教会』(僧侶)が結びつく事によって権力と富を独占し、其の結果芸術は専ら王侯貴族及び僧正の権力と富の宣伝道具として、大規模で壮麗な物になった。
極端な例を挙げると、人体は絵画、彫刻に於いて「等身大」はおろか実物以上に大きく描かれる事もしばしばであった。
此の時代の芸術は「迫力」や「壮大さ」を追求していた事から、モデルは極端に肉の付いた体格の30代の年齢が好まれていた。

 

J.A.Watteau : Nymphe et Satyre (1714-19)

ワトー作、ニンフとサテュロス(1714~19年)

 

F.Boucher : Les Forges de Vulcain (1757)

ブーシェ作、ヴァルカンからの贈り物(1757年)


Rococo時代(1740~1800年頃)にはBarock時代の反動から各芸術作品が小規模になり、「優美」「軽快」「享楽」の性質が如実に現れた。
Renaissance及びBarock時代では芸術的な思想、理念が様式と強く結び付いたのに対し、Rococoは専ら"Dekorations Kunst"(装飾芸術)としての性質が強かった。
同時に当時の「風変わり」「幻想」「夢想」「異国趣味」等の発想は当時の貴族の享楽的な感覚を反映していた。
又、人体のモデルとしては成熟しきっていない10代後半の年齢が好まれた。


J.L.David:Mars désarmé par Vénus (1824)
ダヴィット作、マルスの武装を外すヴィーナス(1824年)

 

G.Courbet : Paresse et Luxure ou le Sommeil (1866)

クールベ作、怠惰と欲望、又は眠り(1866年)

 

A.Renoir : Grandi Bagnanti (1884-1887)

ルノワール作、大水浴(1884~1887年)

 

19世紀に入ると「市民革命」及び「産業革命」によってヨーロッパ社会では貴族と教会の絶対的権力は薄れ、所謂「自由」「平等」「博愛」の精神が誕生し、同時に『産業革命』によって著しく文明の近代化が進んだ。
此の時代の人体表現は、再び均整の取れた体格を理想として表現するHistorismus(歴史主義)か、人体を理想化せずそのまま写実的に描写するRealismus(写実主義)、又は光と色彩に重点を置いたImpressionismus(印象主義)かのいずれかであった。
美術史全体で見ると絵画、彫刻のモデルは往々に女性はGlamour(豊満な)、男性は筋肉質な肉体が「理想像」として扱われている。
しかし此の世紀の後期(1880年頃)になると1839年に発明された「写真技術」が普及し、人々の理想像は画家や彫刻家が創り出した理想像から実存する人間像へと変貌して行った。

 

Lovis Corinth : Liegender weiblicher Akt (1900)

コリント作、横たわる裸婦(1900年)


P.Delvaux :L`Enigame (1940)  

デルヴォー作、謎(1940年)

 

そして20世紀に入っても二度に渡る世界大戦を通じて、人体の理想像は前記の19世紀後期の美的感覚がほぼ継承されていた。
しかし「第二次世界大戦」(1939-45)が終結して1950年代から人間の理想像は流行と共に目まぐるしく変化して行った。
例えば1950年代から60年代は相変わらず女性はGlamour(豊満な)、男性は筋肉質な肉体が好まれ、70年代には逆に男女共に華奢で引き締まった体格が流行した。
80年代になって民間でもFitness Exercises(健康管理の為の体操)が盛んになり、其の結果再び男性は筋肉質、女性はGlamour(豊満な)肉体がもてはやされる様になった。
此の頃から欧米諸国では俳優やモデルでも定期的にスポーツジムにてトレーニングをして健康で美しい体形を維持する事が常識になっている。


J.D.Ingres:  Akt Etude  (1850)  

アングル作、裸体・習作(1850年)

 

前述の通りRenaissance時代(15世紀)以来、美術界では理想の人体のProportion(均整の取れた比率)として所謂「8頭身」が定着していた。
ところが実際は余の様な芸術家以外にも、医学の専門家達の中では此の定義を否定する方々が多い。
余は特別受講生としてMedizinische Akademie Dresden(ドレスデン国立医学大学)で学んでいた時、担任の外科医P.Fährmann先生と此の事について話し合ったのだが、先生も「8頭身」を非現実的な理想として否定されていた。
先ず歴史的に考察しても、Renaissance時代(15世紀)のヨーロッパの成人男性の平均身長は165cm程で、第二次世界大戦頃のヨーロッパの成人男性の平均身長ですら173cm程であった。
平均身長が格段に伸びた現代人でさえ、まして平均身長世界一と言われるオランダ人男性ですら「8頭身」を満たすのはかなり難しい。
例えば頭長が25cmある人が「8頭身」になる為には2mの身長が必要とされる。
比較的体の小さい日本人女性ですら平均頭長が23cmあるのだから、身長184cmになるのは非常に厳しい。
故に余は個人的に理想の人体のProportionとして男性7.5頭身、女性7.0頭身と定義付けたのである。
此の定義にはFährmann先生も全面的に同意してくれた。

G.Courbet:  Kunstmalers Studio (1855) (Ausschnitt)

クールベ作、画家の仕事部屋(1855年)(部分)

 

Renaissance時代(15世紀)からRococo時代(18世紀)頃までの画家達が女性の裸体を描く為に、女性のヌードモデルを調達する事は決して現代ほど容易ではなかった。
何故なら此の時代は道徳及び風紀上、女性が安易に其の裸体を晒す事は淫らで不謹慎であると考えられていたし、美術学校や美術工房がが専属ヌードモデルを抱えている事も殆ど無かったからである。
其の為、当時の画家、彫刻家達は個人で(大抵の場合は自分の家族、親族、友人の範囲内にて)ヌードモデルを見つけるか、そうでなければ男性のヌードモデルで代用して、女性の裸体らしく表現し変えなければならないのであった。
又、日本や中国に代表されるアジア絵画に比べてヨーロッパ絵画には裸体を描いた作品が多い事に疑問を感じる人がいる様だが、其の最たる理由の一つとして所謂“Körperkult“(肉体崇拝)の理想が挙げられる。
此の理想は元来古代ギリシャ、ローマの美術と美学から起因しているのだが、Renaissance時代(15世紀)よりヨーロッパ各国に普及する様になった。
白人は其の他の人種に比べて、男性は筋肉質、女性はGlamour(豊満な)体格であると云う肉体的な優越性をおのずから強調する事になったのであろう。
奇妙な表現ではあるが、此の傾向はRassistischer Narzißmus(民族的自己愛)とも解釈出来る。


Leopold Kiesling :  Mars und Venus mit Amor (1809)

キースリング作、マルスとヴィーナスとアムール (1809年)

 

扨、余の母校Kunstakademie Dresden(ドレスデン国立芸術大学)に於ける学生時代の実技の授業について記すのだが、本場ヨーロッパの芸大ではギリシャ、ローマ神話の神々を模った、又は過去の大家の彫刻作品を模倣した石膏像を描く事は最早行われていない。
そうではなくて、生きたヌードモデルを見て描く事が主流であった。
即ち理想化された偶像ではなく、生身の人間を直に描くと言った現実肯定的な方針なのである。
とは云うものの余は個人的に魅力を感じないモデルを目の当たりにしても、とてもではないが制作意欲は起きなかった。
其れ故に余は学校から与えられたヌードモデルを描く事を一切拒否して、自分で選んだ風景や建築物や静物ないしは医学大学の解剖実習の授業内で解剖された人体を描いていた。
又、余はヌードモデルをしているGlamour(豊満な)体格の処女にこそ大層魅力を感じるが、逆に見るからに不潔、不純そうな阿婆擦れ女、清純そうな振りをしている売女まがいの女には軽蔑の念しか湧かない。

人間の本来の姿は「裸体」なのであるが、他の哺乳類の様に毛に覆われている訳ではないので、人間は地球上で唯一、衣服や装飾品を身に着ける生物である。

故に人間の生活文化の中でのみ多種多様な衣服、装飾品が“Fashion“として長い歴史を通じて発明、発展して行った。

心理学的に観察しても、衣服や装飾品はこれ等を身に着ける人の“Persönlichkeit“(人格、人間性)を象徴する品物であると言っても良い程である。

美術史の分野に於いても、各時代の様々な衣服や装飾品が当時の絵画、彫刻、等で描写されている事を、歴史的資料として研究している。

又、余の個人的な美学理論の上では、「真に容姿の美しい人間とは、衣服、装飾品、化粧、等の助けを借りずとも、素顔、素裸の状態で美しい者である。」と断言出来るのである!


因みに世界各国の心理学者が統計を取った処によると、長続きする恋人や夫婦の間の身長の差は、どこの国でも平均約13cm程、男性が女性より高い事が判明している。
即ち男女共に無意識に其の位の身長差のある相手を求めているという事なので、男女間の理想の身長差は13cm程であると定義付ける事が出来る。
今日まで、体型とPersonality(人間性)の関係を研究した心理学者は数多いが、近年では異性の体への興味のあり方と人間性の関係についての研究が進んでいる。

此の研究主題の実用例として、かのアメリカの有名男性誌Playboyの中に、(男性)読者の恋人を当雑誌社が探し出して紹介してくれると云う特設サービスがある。
其の方法とは、雑誌に多くの女性の顔写真及びビキニを着た全身写真を載せて、読者が好みの女性の写真にチェックマークを入れて、Playboyの此の特設サービス編集部に送付すると、当雑誌社に登録された人達の中から、読者が好みの女性に容姿の似た同系統の女性を紹介してくれる言う具合である。
何と此の特設サービスで出会った男女は、恋人関係から目出度く結婚まで漕ぎ着けた例が多いのである!
此の事から、男女関係にはCharakter(性格)よりも、寧ろSexuality(性)の好みが一致する事の方が重要であると考えられる。

人間は誰しも自分自身が出来る限り美しくありたいと願う。
同時に自分の相手(友人、恋人、配偶者)に対しても出来る限り魅力のある人である事を望む。
其の為に「人間の理想像」を個々に抱いているものである。
希に理想の人間像を特に持たない人がいるが、こう云った人は何でも安易に妥協してしまうので、自分を向上させる事も、理想の人に決して巡り会う事も出来ないのである。
其れとは逆に特定の人間を余り理想化すると、其の人の本来の人間像が正しく見えなくなり、遂には「実像」ならぬ「虚像」に成り変るので危険であると言う考え方もある。
確かに「現実」を直視し、且つ肯定する事は成程大切ではある。
しかし、余は思うに人間は「理想」と言う物があるからこそ、其れを目指して追求なり努力なり続けて、自分を向上させて行く事が出来るのではなかろうか。

余自身もウェイトトレーニング及び格闘技の練習を長年続ける事によって、自らが理想とする健康で美しい体形を維持する事に努めている。
(自他共に認める事だが)其の甲斐あって古代ローマ神話の戦争と軍隊の神Marsの様な肉体(スリーサイズ、B:105、W:68、H:93(cm) 身長:173cm、上腕周り:37cm)を維持している。

(此の事は自他共に認める事なので、ただの自惚れと言わないでもらいたい。)

其れが評価されて、余は我が母校Kunstakadenmie Dresdenで学生時代に御世話になった当時の学部長で画家のC.Weidensdorfer先生、及び大阪出身の我が親友の似顔絵描きの地本さんに余の水着姿の写真をモデルに絵を描いて頂いた事と、広島県のある彫刻家の方の依頼でヌードモデルを(水着を着用して)務めた事がある。

此の御三方によると、芸術分野ではボディービルダーまで筋肉が着くと、最早美しいを通り越して気持ち悪いと見なされ、絵画や彫刻の男性ヌードモデルはボディービルダーの一歩手前位が理想なのだそうである。

(いつもの如く己惚れる様だが)芸術的且つ美学的感覚からは、余はどうやら理想的なヌードモデルらしい。 

其の様に認めてくれた事を余は大層光栄に思えるのである!

余は自分の顔が「彫りが深い」とか「端正で美しい」とか「女性的な美しさを感じる」等と褒められる事を成程嬉しく思うのだが、其れ以上に自分の超筋肉質な肉体を褒めてもらえる事には更なる喜びを感じるのである。

何故なら「美しい顔」とは生まれながらに授かった幸福なのだが、「超筋肉質な肉体」とは自分の意思理想努力で鍛え上げた、言わば芸術家が作り上げた作品の様な物なのである。

即ち其れを称賛される事は、肉体美のみならず自分の意思理想努力をも称賛される事に繋がるからである。

誠に自分の思い描いた「理想」が「現実」になったら、此れ程大きな喜びと幸せは無いのではなかろうか!

 

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