信頼ある人間関係の原則, そして人間の意思、思想、目的の尊さについて | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

インターネットが世界規模で普及して以来、情報、資料の収集、及び商業上の取引に於いて目覚ましい進歩を遂げている。
しかし「諸刃の剣」の諺の如く、其の反面インターネットによる「サイバー犯罪」が国際的に蔓延しているのも事実である。
余は元来用心深く、疑り深い故、直接面識の無い者、正しい個人情報を公開しない者、又は業務上の正式な取引が無い限り、インターネット上で知った個人等は初めから絶対に信用しない事にしている。
又、最近では所謂「ネット・ストーカー」又は(サイバー・ストーカー)と呼ばれる一種の異常者、変質者の輩も増えているらしいので、余は自分のブログでも「コメント」も「メッセージ」も「ゲストブック」の書き込みも一切許さない様にしている。
御陰で余は友人及び業務の関係でドイツ語、日本語、英語の3ヶ国語を使ってインターネットを利用しているにも拘らず、幸いにしてサイバー犯罪の被害に合った事は一度も無い。
古の諺に「小人閑居すれば不善を為す。」とあるが、正しい目的、仕事、義務、用事も無く、そして財産にも恵まれず、ただ暇だけ持て余している下賤の輩とは、世の為人の為になる事を考えず、そして行う事も無く、他人や社会に迷惑や害を及ぼす事すら厭わないのか? と軽蔑したくなるのである。
キリスト教の古い教えに「信ずる者は救われる。」と言うのがあるが、寧ろ現代では「疑う者は救われる。」と言う余並びにフランスの哲学者R.Descartes先生の教えの方が正しいのかも知れない。
大変傲慢な言い方ではあるが、ただ単にインターネット上で知った者を安易に信じる者、は余りにも単純且つ愚かに思えてしょうがない。
勿論、騙す者が一番悪いのだが、騙された者も余りにも軽率且つ無思慮なのではなかろうか?

実に国際的な統計から見てもサイバー犯罪の被害に合う者は上流、中流階級よりも下層階級の者が圧倒的に多い。
外国のサイバー犯罪に関してはさすがに自国の警察も手を出せないので、現地の警察に依頼するしか方法が無いだけに、ある意味で国内のサイバー犯罪よりずっと質が悪い!
幸い日本はヨーロッパ諸国やアメリカに比べて外国人の入国、居住及び外国の有害サイトを厳しく規制している御陰で、他国に比べて外国人による犯罪が比較的少ない。
しかし今日では情報網が国際化されているので、見知らぬ外国人との「出会い」には絶対に油断禁物である!
ネットショッピングやオークション等のウェブ上の取引程度なら、「特定商取引法」に基づく表示を確認したり、相手業者の所在地をウェブ検索結果や地図で確認するだけでも十分である。
しかし信頼ある人間関係を長く継続するとなると、やはり「直接の面識」、「正しい個人情報」、「経験」、「価値観」等を共有する事が必要である。
誠に「信頼ある人間関係の原則」を疑わざるを得ない今日この頃である。
其故に余は自分のホームページ及び当ブログ上でも個人情報(経歴)は包み隠す事無く表示しているし、余が登録されている日本、ドイツ、アメリカ等の公式サイト上でも自分の経歴、意思、思想、目的(日本語・ドイツ語・英語)も明確に記述している。
何故なら真実を訴えている事に自信があるからである!

世界各国でインターネット上で知った者(犯罪者)を安易に信じて酷い目に遭う下層庶民(特に若年層)は至る所にいる。
心理学的に分析すると、其の主な原因は彼らの生活及び心の貧しさ、才能、目的、意志の欠如、精神の寄り所が無い事であろう。
正にDescartes先生の言葉「動物は精神の無い単なる機械」の如く、彼らはパソコンやケータイ等で四六時中遊んで「人生」と言う尊い時間を無駄に消費する事しか出来ていない。
そして他人やコンピューターの言いなりになっている誠に哀れな連中である。
而もこれ等の愚行はただ単に貴重な時間を無駄に消費するのみならず、医学的に見ても健康を害する事にもなり兼ねないのである。
例えば通信機器から出る有害電磁波が人体にもたらす害作用としては以下の事が挙げられる。
1.細胞の成長を妨げる、又は損傷する
2.発癌作用がある、又は癌細胞の成長を促進する
3.胎児に先天性異常を起こす
4.神経系化学物質を悪変させる
5.精神異常的行動を招く(自殺、犯罪、等)
6.生理的リズムを狂わせる
7.ストレス反応を引き起こす
8.免疫機能を弱らせる
9.学習能力、創造力、意志力を低下させる
他にもケータイ、スマートフォンの長時間乱用によって起こる「ドケルバン病」(親指の伸筋腱の腱鞘炎)と「ばね指」(親指の屈筋腱の腱鞘炎)等もある。
此の様な連中は「個性」はおろか「人間の尊厳」さえ失う恐れすらあるのではなかろうか?と思えるのである。

後期ストア派の哲学者で、かの古代ローマ帝国の皇帝Neroの家庭教師でもあったSeneca先生(B.C.1~A.D.65)はこう述べられている。
人生は短いと人は言う。しかし其れは間違いである。 そうではなくて人間が『人生』と言う時間を無駄に消費しているに過ぎない。 人間が時間を有効に使い地道な努力を重ねて行けば、世の中の大事をも成す事が出来る。」(余の最も好きな格言の1つである!)

又、我が精神の師である大文豪Johann Wolfgang von Goethe先生Goethe (1749~1832)は其の名詩 

"Natur und Kunst"(自然と芸術)の中に次の様に述べられている。
>Vergeben werden ungebundene Geister. Nach der Vollendung reiner Höhe streben.
Wer Großes will, muß sich zusammen raffen.
In der Beschränkung zeigt sich erst der Meister und das Gesetz gebt uns die Freiheit.<
放縦な精神は虚しい。完成を目指して純粋な境地で努力せよ。
大事を望むのなら、絶え間なく勤めねばならない。
制限の中にのみ名人芸は存在する。そして此の法則が我らに自由を与える。
」 (同様に余の最も好きな格言の1つである!)

自分のWille (意思)、Meinung(思想)、Ziel(目的)を持たない人間は決して己の人生を充実させる事が出来ない。
何故なら人生の幸福、勝利、成功は自分の意思、思想、目的を貫く事によって初めて成り立つからなのである!

(我が格言集より)

人間が社会で生きて行く上では、他人との協調、融和も成程大切な事ではある。
しかし、ただ単に其れだけで終わってしまっては、「自分」と云う存在が希薄になってしまうのではなかろうか。
此の世に一度人間として生まれたからには、他人に振り回されたり、社会の流行に感化される事無く、しっかりとした“Identität”(自分らしさ)並びに“Individaulitt”(個性)を形成し保持する事を自覚するべきである
さもなければ、一度しかない地上での人生は全く空虚な物で終わってしまうのではなかろうか。
余は「自分らしさ」並びに「個性」を形成し保持する為に最も大事な事は、自分のWille (意思)、Meinung(思想)、Ziel(目的)を貫く事であると考えている。
これ等を持ち合わせていない人達にとっては、最初の内はは大変難しい“Lebens Aufgabe“「人生の課題」の様に思えるかも知れない。
しかし、実際には子供でも自分の意思、思想、目的を簡単に持つ事が出来るのである。
何故なら、子供には大人に比べて知識、経験、そして権利こそ少ないが、逆に大いなるFreiheit(自由)があるからなのである。
正に此の「自由」こそが、これ等の三要素を獲得する為に最も重要な条件なのである!
人間は大人になれば、社会での規則、法律、義務、責任、約束、等と云った諸条件を遵守する為に、多少の自由が制限される事になる。
ましてこれ等を守らなければ、自由な人間としてではなく、身勝手な人間として軽蔑されたり、場合によっては処罰される事にもなる。
だが、世界各国の(民主主義的な)法律や道徳に於いては「思想と言論の自由」(Freiheit der Meinung und Äußerung)は確実に保証されている。
其の保証されている「自由」の中で、自分の意思、思想、目的を持てない事は、人間として大変虚しく思えてならない。
では如何にしてこれ等を獲得すれば良いのかと言うと、無理に最初から大それた事を考えなくとも、先ずは小さな事、又は身近な事から自分の意思、思想、目的を創り出していけば良いのである。
其の小さな事、身近な事から生まれた自分の意思、思想、目的を持って、学習、努力を続けて行く事によって、大きな意思、思想、目的を達成出来るのである!

Kunstmarkt von Heinrich Gustav   
All rights reserved