闘将 江藤慎一 | ほぼ日刊ベースボール

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野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。



江藤慎一





チームを思うその男気が時に仇となり、首位打者を獲得しながらもトレードされたり、正に波乱万丈の野球人生を過ごした江藤慎一が亡くなった。ご冥福をお祈りしたい。




最近のプロ野球を見るにつけ、「それがプロだから」という便利な台詞を背景に、実力に見合わない高給を引き出すことに腐心する選手がいかに多いか。自分のことだけでなくチームのため、さらにはプロ野球界のために尽力してこそ、実力以上のサラリーをもらう価値がある。プロ野球界のサラリーが上昇するきっかけをつくった落合も、一匹狼風でありながら、実に面倒見がよく、チームを考えた選手だったという。



そういった意味で熱い男だったのが、江藤慎一だった。



69年のある試合で、守備の名手の高木守道がサヨナラエラーをして中日は敗戦した。この年から中日の監督になっていた水原茂は全選手を集め、「おい高木、さっきのゴロなんか女学生でも取れるゴロじゃないか、お前の目は腐れ眼か?」、と激しい調子で高木を叱り飛ばした。その直後の選手会では当然のように水原に対する不満が爆発した、すると江藤が「俺が監督に話つけたる」と言って一人で監督室に出向き、「監督は負けると選手名を出してボロクソに言う、私たちにもプライドがある、女学生でも取れるとか、腐れ目とかだけはやめてください。ただし叱るのは、いくら叱っていただいても結構です」と直談判した。水原監督は翌朝のミーティングで全選手を前に「実は昨夜、江藤が私の前にやってきて反抗的な態度を取った。監督として反抗するものを許すことはできない。このケリはきちんとつける」と言った。中日で 1484安打、268本塁打を放ち、首位打者を2度獲得した江藤はこうして解雇され、ロッテに移ることとなった。



そしてロッテでの71年7月13日阪急戦、7回表に江藤はカウント2-1からボールを見送り、砂川主審はボールを宣告した。ところが阪急の岡村捕手が「振った!」と言った、すると主審は「あっ!振った、ストライクだ」と判定をくつがえして江藤は三振に倒れた。江藤は激しく抗議をし、濃人監督は「ボールをストライクに直したのが間違いなんだから、もう一度ボールに訂正してくれ」と言ったが、砂川主審は「そんなことをしたら騒ぎがもっと大きくなるから出来ない」と言って受け付けなかった。濃人監督は怒って選手をベンチに引き上げさせた。そして35分後に審判団から放棄試合が宣告されルール上0対9でロッテは敗れた。



この年、史上初にして唯一の両リーグ首位打者が決定した10月16日は江藤の34歳の誕生日だった。そして試合終了後に中村オーナーに呼ばれた江藤は野村収とのトレードで大洋移籍を告げられる。「来年もロッテでやってくれと言われたのが昨日。それが今日になって大洋に行けだ。でも行くしかない」。首位打者を獲得しながらのトレードの背景には先の放棄試合があると言われ、濃人監督もこの年限りで退任している。江藤は「ロッテでは、お山の大将から二等兵に戻ったつもりでやってきた。それが両リーグ首位打者につながったと思っていたのに・・」と嘆いたという。



通算成績は2057安打、ともに歴代17位の通算367本塁打、1189打点。全盛期がONと重なっていたため本塁打王、打点王は一度も獲得できなかったが、その成績を見れば稀代の大打者の一人といって過言ではないだろう。