天才プルヒッター 土井正博 | ほぼ日刊ベースボール

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土井正博





通算465本の本塁打のうち、ライト方向がたった3本。プロ野球史上、これほどのプルヒッターがかつて存在した。その名は土井正博。




プルヒッターというと例えばブライアント。三振の多さが売りなのが定説だろう。しかし土井は違った。三振数の打数に対する割合が.089と1割を切っている。この「三振率1割未満」は400本塁打以上を打ったスラッガーの中では張本勲、長嶋茂雄と土井だけの記録であり、長距離打者として異例とも言える三振の少なさも特筆すべき特徴である。そこから察するに、広角に打てなかったのでなく、豪快に引っ張ることをよしとするその打撃スタイルが、土井自身の美学だったのかもしれない。




そのバッティングは天性のものとも言え、入団2年目には18歳で4番を打っている。ちなみにこの時入団2年目。大鉄高等学校(現・阪南大学高等学校)を2年で中退して1961年近鉄に入団。1年目は2軍暮らしであったが、別当薫監督のもと、2年目よりレギュラーとなった。




打撃フォームは上半身を捻った独特なものであった。最初はカッコだけではじめたものだったが、これが意外にも余分な力が抜け、また成績も上昇したため定着させていった。水島新司の漫画「あぶさん」の主人公、景浦安武は作中で「土井さんは俺のフォームの師匠だ。」と語っている。




しかし残念なのはその実力にもかかわらず、世間での認知度がかなり低いことである。メディアに露出度の高いセリーグと低いパリーグの差であり、常勝チームと弱小チームの差でもある。それゆえに、土井は、残した実績の高さに比べ、世間の評価は低く、今でもメディアに取り上げられることもほとんどない。しかし、土井が残した記録は、彼がプロ野球史上に残る大打者であったことを雄弁に物語っている。




実際、土井の通算成績は、打率.282、465本塁打、1400打点、2452安打とどれをとっても超一流である。同じ頃、セリーグで活躍した長嶋茂雄は、打率.305、444本塁打、1522打点、2471安打である。打率こそ長嶋に劣るものの、それ以外はほぼ遜色ないと言っていいだろう。土井は、長嶋と同じ背番号3の右打者だったため、「パの長嶋」という異名さえあったという。




また指導者としても一流で、かの清原の師匠でもある。

1989年シーズン中に賭博に絡んでいたことが発覚し、強制捜査で現行犯逮捕され解任された。その後、清原の技術が停滞し、1990年代に死球禍などに苦しんだことについては、「清原に1軍で勝つための技術だけしか身に付けさせられなかった」としている。つまり死球をよける技術を2軍で学ばせることができなかった。




選手としても指導者としてもこれほどの実力をもちながら、メディアにとり上げられないが故に注目度が低いのはなんともやるせない。このような選手にこそ、きちんと光を当てるのが後世に残す伝統として相応しい。