名球会が遠く及ばなかった名選手 | ほぼ日刊ベースボール

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野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。

江川卓




江川卓(1979-87)135勝

掛布雅之(1974-88)1656安打




 江川は言わずと知れた怪物投手。その逸材は松坂にも劣らずと言ったところであると思う。江川の回りにあるブラックな話題が残念でならない。数字以上にファンに注目された投手であり、オールスターでの8者連続三振は狙ってできる芸当ではない。故障がなければ、もっと言えば変化球がカーブ以外にもう一種類あれば、もっと勝てた投手だと思う。江川のライバルであり、ミスタータイガースとして同年代のスター選手であった掛布はもともと中距離打者であったが、田淵の移籍というチーム事情から長距離打者へと自ら変貌した。江川は32才、掛布も33才という若さで引退した。名球会に入会するためには故障の少ない、そして選手寿命が長い選手が結果として名を連ねることになる。名球会に入会基準には遠く及ばなかったこの2人を取り上げたのは、80年代のセ・リーグを代表し、且つ知名度の高かったこの2選手が入っていない辺りが名球会への難しさが伺えるからである。200勝、2000安打という記録以外に何ものでもない。だからこそその会の付加価値があるように思える。




佐々木誠 (1985-2000)1599安打




 結果としては名球会入りまで残り401安打もあるが、彼ほどおしいと思える打者はいないだろう。なぜならプロセスを調べると完全に達成ペースだったからである。 97年シーズン終了段階で、佐々木は32歳。既に1519安打を打っていた。この年、打率.304で規程打席に達して137安打放っていたのだから、順当に行けば4年以内で2000安打到達の計算だったし、おそらく本人もかなりの確立で達成できると信じて疑わなかったはずである。ところが、結局辞めるまでに打った安打は80安打。.304を打った翌98年が65安打で終った佐々木は西武を退団して、野村監督が就任した阪神に移籍。再び2000安打を目指すが、99年15本、00年3本と全く打てなかった。阪神を解雇になった後、本人は現役続行を望んだが声はかからず、米独立リーグに入って復帰を期したが、結局引退した。

 王、張本は通算の大記録を打ち立てる条件として、異口同音に「35歳からのもうひと踏んばり」を挙げているが、この佐々木といい、先の高橋慶彦といい、いずれも35歳で引退を余儀なくされている。