野口茂樹 | ほぼ日刊ベースボール

ほぼ日刊ベースボール

野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。

野口茂樹




巨人へのFAが決まった野口。もう下り坂の感も否めないが、実力は相当な選手である。過去のプロでの活躍は誰もが知るところだが、興味深いのはその高校時代。




高校は愛媛の丹原高校。今でこそ強豪校の仲間入りをした高校だが、当時はまったく無名の高校だった。

中学時代、野口は投手として中学校総体県大会で優勝。しかしながら野球有力校からの誘いを断り、地元の丹原高等学校に入学。野球部に入る。




野口の趣味は絵画だが、それは高校時代、美術の先生に絵を誉められたのがきっかけ。99年オフには名鉄百貨店8Fでおそろしくミニな個展(=展示された作品は、初めて描いた油絵『海』のみ)を開催。




話がそれたが、順調に成長を遂げた野口は高3の4月、高校野球愛媛県春季大会で優勝。2回戦の新居浜南戦では、ノーヒットノーランを達成(8回参考記録)。38回1/3投げて78三振を奪い、『四国のドクターK』と呼ばれる。しかし大会後、左肘を傷める。ギプスが取れたものの、腰痛もあり、6月下旬から全く投げ込み出来なくなる。




そして迎える最後の夏、2回戦の三島戦から登板し、1回2奪三振。3回戦の伊予戦では10回2失点(自責1)。準決勝の松山商戦で2回1/3でKOされ、惜しくもベスト4で敗退。




そして故障した肘と腰を治療しながら、中日ドラゴンズから3位で指名された。




そんな野口がすごした丹原高校、実は野口の入学と同時に、野球設備に関して大がかりに改善を行ったらしい。野口が入学の条件としたのか、学校側がスポーツ強化の足がかりとした上での野口勧誘だったのかは当事者のみ知るところだが、いずれにせよ、丹原高校が後に愛媛県地方大会で常時ベスト4入りするほどになったのは野口入学からがきっかけだったようである。




学校の方針を左右した中学球児がかつて存在しただろうか。それくらいの資質を持ちながら、現在の活躍ではあまりに寂しすぎる。巨人へ移籍した点の是非はさておき、もういちど19勝してMVPに輝いた99年のあの雄姿を見てみたい。