張本勲 | ほぼ日刊ベースボール

ほぼ日刊ベースボール

野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。



 







3000本安打




今となっては日曜の顔となっている張本勲。サンデープロジェクトで大沢親分と一緒に茶髪などのチャらい選手に喝を入れまくっている。このコーナーを見ないと、その週はなんだかスッキリしない。そんな人は多いのではないだろうか。




張本勲と言えば、3000本安打。ヤクルト青木が年間安打数200本を越えた。歴史ある日本プロ野球で年間安打数が200本を超えた選手はイチローと今年の青木しかいない。極めて難しい記録なのである。その年間200本安打を15年続けて、張本勲の記録に並ぶことが出来る。ほぼ不可能な大記録である。その打撃スタイルは「広角打法」「スプレー打法」「扇打法」「打撃の職人」「水平打法」などと呼ばれた。




もちろん長打力もあった。通算本塁打は504本。歴代記録の第5位である。通算打点は歴代4位の1676打点である。しかし、本塁打王も打点王も一度も取っていないところが、実に面白い。




--------------------------------


59年、浪商高から東映フライヤーズ(現日本ハム)に入団。開幕戦からスタメン出場し、打率.275、13本塁打で新人王を獲得。61年に打率.336で初の首位打者を獲得し、サイクル安打も記録。62年には打率.333、31本塁打で東映のリーグ優勝に大きく貢献し、MVPに選出され、日本一にもなる。そして、67年からは4年連続首位打者となり、球界を代表する安打製造機となる。70年には当時の歴代年間最高打率となる.383を記録する。36歳になる76年に前年最下位だった憧れの巨人へ移籍して全盛期の打棒が復活。76・77年のリーグ優勝に貢献する。80年にはロッテに移籍し、前人未到の3000本安打を達成。81年に現役を引退。投手を威嚇するような力強い構えからコンパクトに振り抜く広角打法は、本塁打も打てる安打製造機として高いアベレージと本塁打量産を続けた。実働23年で通算打率.319(歴代3位)、504本塁打(歴代6位)、1676打点(歴代4位)。タイトルは首位打者7回(歴代1位)、最多安打3回、最高出塁率9回、新人王、ベストナイン16回。歴代1位の通算3085安打は不滅の大記録と言われている。