中高年の星 門田博光 | ほぼ日刊ベースボール

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野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。

門田博光




プロ野球選手はいつの時代も子供達の憧れの職業である。運動神経抜群、顔は男前であってほしい。現役選手なら、高橋由伸や新庄剛のような選手だ。そんな中、典型的ダメな日本のお父さんの様な風貌で、通産本塁打記録単独第3位、「中年の星」と言われる伝説のホームランバッターが存在した。その豪快なスイングは見た目のマイナス面を吹き飛ばすほどカッコよく、存在感があった。


あまり派手なことは好まず、頑固で融通が利かない選手で有名であった。中学~高校時代もそれほど注目を集めていたわけではない。ただボールを遠くへ飛ばすことの魅力にとりつかれ、それにこだわった選手であった。野球選手としては決して大きい方ではない。アキレス腱切断のアクシデントにも見舞われたこともあった。そんな中で、この記録とタイトルの数は血のにじむ努力を連想させる。




天理高校から社会人を経て70年にドラフト2位で南海ホークスに入団。2年目に素質を野村克也監督に認められて3番に座り、打率.300、31本塁打、120打点で打点王を獲得し、南海の中心打者となる。南海では野村の後継者としてコンスタントな活躍を見せる。しかし、10年目の79年2月のキャンプ練習中にアキレス腱断裂の大怪我を負い、3ヶ月の入院。その年のほとんどをリハビリに費やした。それでも、翌80年には自己最多の41本塁打を放って完全復活、翌81年には7月に月間16本塁打の日本記録を作って、シーズン44本塁打で初の本塁打王に輝いている。さらに83年には40本で2度目の本塁打王となる。40歳を迎えた88年には打率.311、44本塁打、125打点で2冠王に輝き、「不惑のアーチスト」「中年の星」と賞賛された。そして、89年にオリックスに移籍。89・90年に33・31本塁打と2年連続30本塁打以上を放っている。翌年は再び古巣のダイエーに戻って2年間プレーし、92年に目の衰えを理由に44歳で現役引退。




左打席で豪快にバットを力いっぱいボールに叩きつける打ち方は、常に本塁打を意識したフルスイングで、普通なら体力が衰える40代になっても豪快な本塁打を放ち続けた。40歳を超えてからの本塁打数が133本は奇跡に近い記録である。




通算成績:打率.289、567本塁打(歴代3位)、1678打点(歴代3位)、2566安打(歴代4位)、通算三振1520(歴代3位)、本塁打王3回(81・83・88)、打点王2回(71・88)、最高出塁率3回(81・87・88)、シーズンMVP1回(88)。ベストナイン7回(71・76・77・81・83・88・89)