ガラスのエース | ほぼ日刊ベースボール

ほぼ日刊ベースボール

野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。

今中
 



大阪桐蔭・辻内投手を紹介したが、同じ大阪桐蔭出身、左腕といえば今中慎二であろう。高卒2年目には二桁勝利、140キロ台の切れ味鋭いストレートと打者を嘲笑うかのような80キロ台のスローカーブでセリーグの並み居る強打者を封じ込めた天才投手である。




細身の体は確かに故障を予感させるものがあったが、それ以上にマウンドでの圧倒的な存在感は90年代ナンバー1サウスポーの称号がふさわしい。




特に93年の投球は圧巻で、17勝7敗1セーブ、防御率2.20、247奪三振で最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得し、沢村賞にも選出された。7月6日のヤクルト戦では1試合16奪三振のセリーグタイ記録を作っている。




今中といえば94年、あの伝説の10.8であろう。長嶋茂雄が「国民的行事」と呼ぶまでのあの名試合は、生放送を観ていてブラウン管を通してもかつて経験したことのない異様な雰囲気が感じられた。


なぜか今中は落合博満にストレートしか投げられず、その落合に打ち込まれたために勝負は巨人のものとなった。




これには実は裏話がある。


中日ドラゴンスから読売巨人に移籍した落合博満が「今中のストレートならいつでも打てる」と発言。以来、今中は落合との対戦の時には 落合の得意のインコース低めにストレートをむきになって投げ込む勝負にでて打ち込まれる結果になっていたのである。

落合の元同僚だった今中の性格を見抜いた心理作戦に 完全にはまっていたのだ。

落合にはわかっていた、「今中は勝負球には、ストレートをむきになって投げ込んでくる」と。

今中もそれを分かっていた。

分かっていても、それでもストレートで勝負した今中だったのである。




その後、96年に左肩炎症により手術を繰り返すものの、全盛期の球威は戻らず2001年、30歳にして現役引退。太く短い野球人生にピリオドを打つこととなる。



数多くの好投手の中でも今中ほど野球少年の目標になった選手もなかなかいないのではないだろうか。

今後いつあれほどのサウスポーが出てくるか分からないと思うと非常に惜しすぎる。

次代の今中が現れることを願って止まない。





 応援のクリックお願いします。