江川智晃(ソフトバンク) | ほぼ日刊ベースボール

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野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。



天賦の才、この言葉がこれほど似合う選手はそういない。

ソフトバンク・江川智晃。三重県・宇治山田商より2004年ドラフト1位でソフトバンクに入団、先のオープン戦では代打で登場、レフトライナーながらもプロ初打席で自分のスイングをしたその度胸には将来性を感じぜざるを得ない。写真は高校時の写真だが、高校時にこれほどのフォロースルーが出来る選手を見たのは、PL学園時代の福留孝介以来である。



小学生の頃から規格外。その点ヤンキース・松井秀喜に似ている。打てば上級生も驚きの飛距離を誇り、防御ネットを飛び越えて民家のガラスを割ってしまう。そのため彼の打撃練習の時には反発力の落ちたボロボロの古いボールのみが使われたという。



江川がその名を全国に轟かせたのが中学3年生の夏、投手で4番でチームを引っ張った中学野球の全国大会で優勝、シニアリーグやボーイズリーグでなく、中学野球というのが彼の天然素材ぶりを物語る。



当時のエピソードである。



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胸元のメダルが誇らしげに輝いていた。2001年夏、三重・二見中野球部は全国Vの喜びとともに地元に凱旋(がいせん)。JR二見浦駅前で行われた祝賀セレモニーで、同校監督の山本卓さん(45=現在は度会中監督)は、たくましさを増した江川の雄姿を見守っていた。



「1回戦で江川がサヨナラヒットを打ったんです。これで、乗っていけるぞ、と」。小学3年でレギュラーの座をつかんだ怪童は、中学生になりさらにその才能が開花。3年で「全国デビュー」のチャンスが巡ってくると、一気にその名をとどろかせた。



強烈だったのは準決勝のワンシーンだ。沖縄県代表に終盤まで1―2と苦戦。空振り三振を喫した江川の瞬時の判断に山本さんも驚いた。「1球の大切さを身を持って示してくれた。あのプレーでガラリと流れが変わったんです」。バッテリーのスキを突いて振り逃げすると、捕手の悪送球を誘いセーフ。流れに乗った二見中は、そのまま頂点に駆け上がった。



グラウンド外でもチームプレーに徹した。バリバリのレギュラーがいる一方で、やはり試合に出られない控えもいる。そうした選手たちにさりげなく声をかけて回る江川の姿を、山本さんはそっと見守っていた。「周囲に対する優しさと気遣いを忘れない。この子の一番の持ち味です」



高校進学を控えていた江川のもとには、地元三重や愛知などの強豪校からいくつものオファーが舞い込んだ。が、本人が選んだのは20年以上も甲子園から遠ざかり、自宅から自転車で通学できる宇治山田商高。野球留学も覚悟していた両親に、江川は「みんなと野球がしたい」と打ち明けた。



「純粋に野球が好きだからでしょうね。小さいころから一緒にやってきたみんなと、どうしても甲子園に行きたかったみたいです」。3歳で野球を手ほどきした父・一良さんの願いでもあった甲子園。天賦の才能と気配りで全国を制覇した中学生は、プロへの階段を上り始めていた。

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そして宇治山田商では2年夏、自らのサヨナラ本塁打で甲子園出場を決める。甲子園では1回戦で敗退した。中学時に全国を制した投手としての才能もさることながら、ある運動メーカーがシーズンオフに全国のめぼしい高校球児のスイングスピードを測った結果、江川が全国で一番スピードが速かったというそのバッティング、それこそが彼のいちばんの魅力であろう。



中学・高校と伸び伸びと野球をしてきた印象のある江川。何よりも素晴らしいのはその才能以上に周囲に対しての気配りができるところ。ともすれば自分のことだけしか考えない人間が多い中、その心意気はまさにあっぱれ、である。まだまだのびしろを予感させる素材と、大きなハート。将来のスター候補生として大きな期待感を抱かずにいられない。