松中信彦(ソフトバンク) | ほぼ日刊ベースボール

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野球選手の熱い過去や意外な背景を主な切り口に、野球への熱い想いを綴ります。



ソフトバンクの松中がオープン戦1号を放った。打線も初の2けた安打をマーク、本人もチームもようやく調子が上がってきたようだ。



松中というとアトランタ五輪の時、三振した際にバットをホームベースに叩きつけたシーンが非常に印象に残っている。当時それを見た時、風貌はふてぶてしいし、ガラが悪い選手だなというのが感じたところである。



それから数年、三冠王をとるに至って彼の人となりを知ったのだが、その野球人生には感動さえ覚えた。



以下、彼のお父様の記述である。



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幼少の頃からすごく活発で体を動かす事が大変好きな子でした。3歳ごろからボール遊びをし始め、私が仕事から帰って来るのを待ってよく家の前の道路でキャッチボールを付き合せられました。そして小学校へ入学。四年生から野球部に入部し三年間思いっきり野球を楽しんだようです。そして八代一中に進学してからも野球部に籍をおき先輩達と一緒に汗を流していたようですが、その時期本人にとって大きな悩みごとがありました。中学校になって身長が全然伸びずに三年生の中体連時期での身長は161センチ位で前列から二番目位と小柄でした。しかし八代一高に進んで野球を続けるなかで一年の七月頃、県予選の時期には身長が急激に伸びて176センチ位まで成長していました。



ところがその後本人の人生さえも大きく揺るがす状況になります。硬式ボールの投げすぎとバットの振りすぎとが重なり九月初め頃になって左肘が炎症を起こしてしまい腕が曲がり私生活にも支障を来たす状態にまで悪化し野球を続けることが出来なくなり本人も大変悩みました。それから二人でいろんな病院を廻り診察と治療といった具合に走り廻ったけれどもどの病院も診察結果は同じで野球を断念せざるを得なくなりました。しかし、本人には甲子園という大きな夢と目標があるためにどうしても野球をやめる訳にはいかず大変悩んで落ち込んでいました。



そこで私が「本人に左がだめなら右があるじゃないか?」と言ったのです。そして二人で右投げの練習をしようかと問い掛けると少し時間をおいて自信なさそうに小さな声で「練習をやってみようか」と返事が返ってきたのです。さっそくその夜から少しずつネットに向かってボールを投げる練習を始めることになりました。一高の全体練習が夜の9時位に終了しそれから帰宅し毎日10時位から約2時間位ゴロの補球と投球の練習を続け翌朝は6時位から約1時間位近くの小学校のグランドで遠投の練習をしてから学校に行くと言う様な日々を過ごしていました。人目を避けるようにして約4ヶ月間猛烈な練習をしました。



それによって少しずつではあるけれどもそれなりに投げることも出来るようになり翌年の3月初めにはチームメイトと一緒に練習が出来る状態にまでなりました。その後高校で2年間、新日鐵君津で3年間、計5年間右投げでプレーを続け平成5年12月に東京のある病院で左肘の手術を受け翌年2月頃からは左投げの練習を始め、日増しに上達しそれまでの守備の不安も解消され晴れて全日本のメンバーの一員として練習にも参加しオリンピックを目指した訳です翌年のアトランタオリンピックでは全日本の4番としてメダル獲得に闘志を燃やし頑張りチームメイトと共に銀メダルの喜びを味わうことができました。そしてその年のドラフトのドラマが一層ダイエー球団に入りたい気持ちを固めることになり、11月のドラフト会議を迎えることが出来た訳です。



そして、ようやくダイエー球団でプレーが出来ることになったのです。1年目は怪我と守備のまずさであっという間に終り、そして2年目も二軍スタートとなり本人も少しいじけておりましたが当時の二軍コーチとの出会いで投球のまずさを指摘され投球の大切さ等をしっかりと叩き込まれたことでプロ選手としての厳しさを思い知らされました。コーチとの連日マンツーマンでの練習を続けることで少しずつ投球の正確さが出来てプロとしての自信もでて、お陰でバッティングの方も日増しに良くなり昨年3年目にしてようやく一軍デビューそして、今年の一軍での活躍と本人にとって本当にプロ野球選手になって一番の喜びをあじわい最高の年だったとおもいます。しかし本人がここまで大きく成長したのは努力と豊富な練習量の賜物だと思っています。又これからも慢心することなく日々努力をし多くのファンの皆さんに愛されるプレーヤーを目指してくれると思いますのでこれからも沢山の応援を宜しくお願いいたします。



素直に成長してくれたこととスポーツを通じて多くの立派な方々との出会い、努力と言う本当の大切さなど私たち夫婦が子供を通じて多くのことを勉強させられました。このようにして私たちも少しずつ成長してきた様におもいます。

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これを読んで初めて、松中が努力の人ということを知った。努力は人を裏切らないとはよくいうが、松中の事を知ってしまうと松中にしか当てはまらない言葉なのではないかと思ってしまう。

彼の三冠王の記録はいまいち注目されなかったが、野球をやめざるを得なかったかもしれない彼のバックグラウンドを考えると、非常に評価に値すると思う。

ダイエーからソフトバンクに変わり、パリーグには楽天も加わった。今年をプロ野球改革元年と定義するなら、そこに華を添えるためにも松中には打ちまくってもらいたい。