公開初日、新宿ピカデリーの最終に滑り込んで参りました。



『LAMB』





のおはなし。



予告編はこちら。



一言で表現するなら「難解な作品」だなぁ、という気がしました。とても。



どんどんネタバレしていきますので、とりあえず1回観てから呼んでください。何卒。











ほんと1回観てくださいね。



























ではまず考察する事柄について挙げましょう。



・アダ≒キリスト説 この作品は神話なのか?


・「禁断が、生まれる。」ってなによ?


現状だとこの2つなんですけども。

知識が浅いものでただの書きなぐりにはなりますが、何かしらご意見等々いただけましたら嬉しかったりします。





・アダ=キリスト説


キリスト教の中で、イエス=キリストは「飼葉桶」の中に生まれたとされていた…気がします。確かそうなはず。間違っていたら本当にごめんなさい。



映画の冒頭から「父」であるイングヴァルによって羊小屋の牧草が手入れされており、このことから小屋全体が飼葉桶のように見ることもできるのではないか、と思います。




そこで生まれる半分人間(家畜である羊からすればある種上位の存在)半分羊(同等の存在)であるアダ。

これは上位存在たる神の子でありつつ、人間の聖母マリアから誕生したイエス=キリストと被る面があるのではないでしょうか。



そんなことを思いながら観ていたところ、第3章でイングヴァルの弟・ペートゥルがアダの「母」を半ば脅すような形で肉体関係を持とうとした時、アダの「母」の名前が(恐らく)劇中で初めて呼ばれます。



「マリア」と。



ちょっとハッとしました。

予告編のナレーションや作中の描写でマリアとイングヴァルの間にアダという名前の娘がおり、本編前に亡くなっているらしいということが示唆されています。


ただ、その旧アダがどのように生まれたか、いつまで生きていたか、どのような子だったかなどの情報が一切出ていないんですよね。




更に言うならばマリアとイングヴァルは羊から生まれた半人半獣の子どもをほぼなんの躊躇もなく我が子として育て始め、それを疑問視されると相手が肉親であってもキレるほどに倫理観がややズレている夫婦です。


そして、旧アダのお墓参りをしているシーンではマリアと新アダしか登場しません。

定期的に関わりを持っているらしいペートゥルも旧アダについて確か触れていなかったはず。



マリアとイングヴァル、この夫婦の間に本当に「アダ」という名前の娘はいたのでしょうか?

もしかしたら全て妄想かも知れません。



中盤、夫婦の営みをしているシーンがやや長めに映されます。これは新アダを迎え入れてしばらく経ってから、ペートゥルも新アダを受け入れるようになってからの話。


少なくとも劇中では、新アダを迎え入れるに当たって羊たちですら交尾している様子がありません。

だいたいの生物が交尾を経て新たな命を生み出します。しかしこの作品ではそれが中途半端な場所に挿入され、誕生する場面の前後には一切描かれません。



私はこの一連の流れを考えている際に「処女受胎」という言葉が浮かびました。

「マリア」の身に起きることとして考えても、やはり繋がっているように思えます。



予告編でも見られる「アダが母から花冠を被せてもらう」というシーン。

これはキリストが十字架に掛けられた際、茨の冠を被せられたという話にリンクしているように思えます。


キリストが人間の罪を背負って死を迎えることで救済をもたらした、それが神の意志によるものだったと解釈すると上位存在である「母」マリアが新アダに冠をかぶせるのもなにか近いかな…どうかな…という。



・「禁断が、生まれる。」ってなによ?


この作品における「禁断」はいくつか見られます。



まず新アダの存在自体。半人半獣、正に禁忌の存在と言えますね。


2つめは子どもの連れ去り。母羊は多分何も悪くないじゃないか。


3つめは親殺し。新アダが殺したわけではありませんが、子どもを連れ去って本当の親を殺すのが禁忌じゃなかったらなんなんですか。


4つめ、不倫。マリアとペートゥルは以前も関係を持っていたのかもしれないな、とほんのり匂います。旧アダが実在した場合、父親は…誰なんでしょうね?


5つめ、一種の虐待。新アダを不気味がっていた頃のペートゥルが草を食べさせようとした場面もそうですが、大きな音が得意ではないらしいアダの前でハンドボールか何かの試合を見て大騒ぎして怒鳴り声を上げてどんちゃん騒ぎするというのはよろしくないよね…


こんな感じでしょうか。

他にも色々あるかもしれません。


恐らくペートゥルとマリアの不倫以外、作中で生まれたものばかりです。

禁断、生まれまくり。2016〜17年あたりのデュエルマスターズかな?



新アダ以外にも沢山の禁断が生み出され、しかもそれらはだいたいマリア絡みです。

ここで再び新アダ=キリストという考え方と絡めると、キリストを産んだ聖母マリアによって色々な禁断が生み出された、と解釈することができます。


ではその場合生み出された「禁断」とはなにか。

宗教の対立、聖邪の分別によって生まれる迫害や差別、一部の教派における傍から見ると妙なものにも見える教義などなど…色々と考えつくように思えます。

あんま身勝手なこと言わない方がよさそうかも。



冒頭でも述べたことなのですが、本当に知識が浅いもので…もしこのブログをご覧になっていて、何かしら思いついたこと教えてやってもいいよ!って方がいらっしゃったらぜひコメントなりなんなり頂けますと嬉しいです。



ではでは