私が関わった不登校のお子さんは立て続けに引っ越し、
私の不登校支援もひとまずお休みと思ってました。
同じ町内で不登校だと知り、居ても立ってもいられなくて
会ったこともないのに手紙を書いて連絡先を教えました。
メールでやり取りして、オススメの習い事を紹介。
お子さんが自信が付いて再登校。
この場合ママがよく分かってる方だった。
後はキッカケだけだったんだろうなと感じていますが、
私がキッカケになれたとこっそり自負しています。
再登校が安定してから連絡を取り合わなくなってました。
突然引っ越しの挨拶に来てもらった時は
正直飛び上がるほど嬉しかったです。
私のした事に意味はあったか?
ある意味出しゃばりでもあり誇っていいのかどうなのか(苦笑)
でもそうして最後に挨拶に来てもらえるというのは
やっぱり出しゃばったけど良かったな~って思いました。
週1くらいで遊んでた子も引っ越した先では
頑張って学校続いてるようで。
私がやっと信頼されて一緒に出掛けられるようになったところで。
出来れば私がついて再登校までを見守りたかったなとか
何だかちょっと寂しさもあり…
うちはうちで、我が子の頑張りも分かってあげられるようになり、
今度学校に行きたくないと言ったら
素直に応援してあげられる心持ちにもなれました。
今度は何に向かおうか…
今まで数秘の「目標6」のためだと思うのですが
やたらボランティア、とにかく人助けに生きて
気付けば自分がボロボロで
簡単には立ち直れなくなっていた。
今度はまるっきり逆。
徹底的に自分のため、
休むことを最優先にしてみました。
自分の好き・やりたいが分からなくて
どうしていいのか、どうやって生きていけばいいのか
全く分からなくなっていた。
とにかく、やりたくないをやめてみました。
やらなきゃ困るんじゃない?
と不安になるようなことでも気分が乗らない事はやらない。
家にこもり何もしない。
夫に何か言われたら
「やれる時はやってたでしょ!
やってない時は出来ないってこと。
分かって!
それが分からないなら離婚しかないから。」
と何度も何度もやり合いました。
夫に急かされることも責められることもなくなり、
少しずつ家事が出来るようになりました。
不登校の子もこういう事じゃないのかな?
と思っています。
求められて応えて、
出来るが当たり前になっていく。
求めている側は自分が求めていることに気付いてない。
求められている側も応えようとしてることに気付いてない。
期待に応えているのは愛なんですよね。
親への愛。
親の喜ぶ姿が好きなんだろうって思います。
友達と子育ての話をしていて、
今の教育って
子ども達を一律の基準で判断しようなんて
一斉に同じ事を同じようにやらせようなんて
ムリを感じるって話していて、
2人で納得した言葉なのですが
「無償の愛って親じゃない、むしろ子どもの方がそう」
子どもは純粋に親のためなんですよね。
親は子どものためと言いつつ、
見栄だったり、安定だったり、
子どもの本当の幸せを見ていないもんです。
考え方がひっくり返ってすごくそれを感じています。
その子の幸せな状態はその子その子で違うから。
こちらが決めるものではないから。
そう思います。
少しずつ元気が戻ってきて、
一度は俗世間の人付き合いを全て絶つつもりで籠っていたけど、
ちょっとずつ信頼出来る
限られたお友達とLINEとかで繋がってやり取りも始めて。
そうすると、
みんな子育てでは少なからず悩んでいるものなんだな~と。
特に女の子は友達とのトラブルが尾を引きやすいようで。
不登校になりかけてる感じも受けなくもない。
みんな絶妙なバランスで登校出来てるんだなと感じます。
特に強くなるのは数秘的に母親が「9」を持ってる場合。
断ったり、強く自分を主張するのが苦手だからと思いますが
ご主人が押しが強い場合が多々見受けられます。
そうすると、学校で何かあった時、
「9」の母は様子見てガマンして、
最後の最後、父親が怒って出て行く、強気で主張する…
なんて、押すか引くかというイメージです。
子どもが不登校になったら
何とか話し合うとか諭すとかで対応しますが
結局状況を受け入れて子どもがなすがままという感じ。
私は「6」を持っていて、「9」に似た、
困った人を放っておけないところがありますが
「9」が困ってることが可哀想で何とかしたいと思うのに対し、
「6」は養育的な意味で何とかしてあげたいと感じています。
なので、その人がその状況から抜け出せるように
ただ救いの手を差しのべるのでなくて
手を貸す、抜け出す方法を教えるというイメージ。
数秘が分かるようになってくると
私が「9」でなくて「6」だったから再登校に持ち込めたのかも
と思わなくもないです。
今不登校になりそうなグラグラしている子のママは
「9」を持っています。
「基本1」なので前向きなのはいいのですが
「ポジティブ=良いこと」とやや短絡的かも。
あまり人の言う事は聞きません。
というか聞けないので、求められたらアドバイスはしますが
私の言いたいことが伝わってるかは疑問です。
不登校にならなければいいけど…
とやや心配です。
まぁ、なったらなったで学びがあるだけでダメな事ではない、
必要だからなるんでしょうから
求められたら私もその時出来ることをするだけですが。
うちの娘だけがマイペースなのかと思ってましたが
やはりみんなそれぞれにあるんだな~と思う今日この頃です。
私の不登校支援もひとまずお休みと思ってました。
同じ町内で不登校だと知り、居ても立ってもいられなくて
会ったこともないのに手紙を書いて連絡先を教えました。
メールでやり取りして、オススメの習い事を紹介。
お子さんが自信が付いて再登校。
この場合ママがよく分かってる方だった。
後はキッカケだけだったんだろうなと感じていますが、
私がキッカケになれたとこっそり自負しています。
再登校が安定してから連絡を取り合わなくなってました。
突然引っ越しの挨拶に来てもらった時は
正直飛び上がるほど嬉しかったです。
私のした事に意味はあったか?
ある意味出しゃばりでもあり誇っていいのかどうなのか(苦笑)
でもそうして最後に挨拶に来てもらえるというのは
やっぱり出しゃばったけど良かったな~って思いました。
週1くらいで遊んでた子も引っ越した先では
頑張って学校続いてるようで。
私がやっと信頼されて一緒に出掛けられるようになったところで。
出来れば私がついて再登校までを見守りたかったなとか
何だかちょっと寂しさもあり…
うちはうちで、我が子の頑張りも分かってあげられるようになり、
今度学校に行きたくないと言ったら
素直に応援してあげられる心持ちにもなれました。
今度は何に向かおうか…
今まで数秘の「目標6」のためだと思うのですが
やたらボランティア、とにかく人助けに生きて
気付けば自分がボロボロで
簡単には立ち直れなくなっていた。
今度はまるっきり逆。
徹底的に自分のため、
休むことを最優先にしてみました。
自分の好き・やりたいが分からなくて
どうしていいのか、どうやって生きていけばいいのか
全く分からなくなっていた。
とにかく、やりたくないをやめてみました。
やらなきゃ困るんじゃない?
と不安になるようなことでも気分が乗らない事はやらない。
家にこもり何もしない。
夫に何か言われたら
「やれる時はやってたでしょ!
やってない時は出来ないってこと。
分かって!
それが分からないなら離婚しかないから。」
と何度も何度もやり合いました。
夫に急かされることも責められることもなくなり、
少しずつ家事が出来るようになりました。
不登校の子もこういう事じゃないのかな?
と思っています。
求められて応えて、
出来るが当たり前になっていく。
求めている側は自分が求めていることに気付いてない。
求められている側も応えようとしてることに気付いてない。
期待に応えているのは愛なんですよね。
親への愛。
親の喜ぶ姿が好きなんだろうって思います。
友達と子育ての話をしていて、
今の教育って
子ども達を一律の基準で判断しようなんて
一斉に同じ事を同じようにやらせようなんて
ムリを感じるって話していて、
2人で納得した言葉なのですが
「無償の愛って親じゃない、むしろ子どもの方がそう」
子どもは純粋に親のためなんですよね。
親は子どものためと言いつつ、
見栄だったり、安定だったり、
子どもの本当の幸せを見ていないもんです。
考え方がひっくり返ってすごくそれを感じています。
その子の幸せな状態はその子その子で違うから。
こちらが決めるものではないから。
そう思います。
少しずつ元気が戻ってきて、
一度は俗世間の人付き合いを全て絶つつもりで籠っていたけど、
ちょっとずつ信頼出来る
限られたお友達とLINEとかで繋がってやり取りも始めて。
そうすると、
みんな子育てでは少なからず悩んでいるものなんだな~と。
特に女の子は友達とのトラブルが尾を引きやすいようで。
不登校になりかけてる感じも受けなくもない。
みんな絶妙なバランスで登校出来てるんだなと感じます。
特に強くなるのは数秘的に母親が「9」を持ってる場合。
断ったり、強く自分を主張するのが苦手だからと思いますが
ご主人が押しが強い場合が多々見受けられます。
そうすると、学校で何かあった時、
「9」の母は様子見てガマンして、
最後の最後、父親が怒って出て行く、強気で主張する…
なんて、押すか引くかというイメージです。
子どもが不登校になったら
何とか話し合うとか諭すとかで対応しますが
結局状況を受け入れて子どもがなすがままという感じ。
私は「6」を持っていて、「9」に似た、
困った人を放っておけないところがありますが
「9」が困ってることが可哀想で何とかしたいと思うのに対し、
「6」は養育的な意味で何とかしてあげたいと感じています。
なので、その人がその状況から抜け出せるように
ただ救いの手を差しのべるのでなくて
手を貸す、抜け出す方法を教えるというイメージ。
数秘が分かるようになってくると
私が「9」でなくて「6」だったから再登校に持ち込めたのかも
と思わなくもないです。
今不登校になりそうなグラグラしている子のママは
「9」を持っています。
「基本1」なので前向きなのはいいのですが
「ポジティブ=良いこと」とやや短絡的かも。
あまり人の言う事は聞きません。
というか聞けないので、求められたらアドバイスはしますが
私の言いたいことが伝わってるかは疑問です。
不登校にならなければいいけど…
とやや心配です。
まぁ、なったらなったで学びがあるだけでダメな事ではない、
必要だからなるんでしょうから
求められたら私もその時出来ることをするだけですが。
うちの娘だけがマイペースなのかと思ってましたが
やはりみんなそれぞれにあるんだな~と思う今日この頃です。