ユニフォームに選んだ選手達~その6~ | ホーリズム3~様々な情景…〜

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ラフブロでのブログを継続し、
ブログ生活16年目に突入
僕なりに感じる事を
いろいろ書いてます…

次に僕が
ユニフォームに選んだ選手は、

「16 グエン・コン・フォン選手」


まあ、
この話をしだすと、
共感を持たれないと思うし、
逆に攻められる事は承知で言うのですが、

水戸ホーリーホックの
“アジア戦略”って何だったのか?

グエン・コン・フォン選手は、
“迷走したクラブ方針の犠牲者”だったのか?

残してくれたものは、
「ベトナム航空マネー」で、
逆に水戸が彼に残せたものは、
何だったのか?

その点、
当時の事情を知るバンキシャなら、
クラブの意向を丁寧に
説明してくれるだろう
(あくまでクラブ目線で)

しかし、その前に、
「グエン・コン・フォン選手」自身は、
今現在どう思っているのか…?


そもそも何故、
“ベトナムの英雄”を、
水戸ホーリーホックは連れてきたのか?

そして、
育てる事も、
生かす事もできなかったのか?

(繰り返すが)
そもそも、
水戸ホーリーホックの
“アジア戦略”って何だったのか?

僕は、
遠い異国から来た
才能ある若者に期待をし、
可能な限りの応援をした


それはまさに、
「水戸で活躍し、
    水戸で活躍した事で、
    更に羽ばたいてほしいと思う選手」
だったからであり、

彼のサッカー人生の中で、
「水戸に来てよかった」と、
思ってもらいたかったからである

しかし、結果的に、
「グエン・コン・フォン選手」にとって、
水戸に来た一年間は、
有意義な一年だったのか?
それとも…


僕は当時、
「グエン・コン・フォン選手」を
応援している中で、

SNS上で、
「グエン・コン・フォン選手」を応援している
ベトナムの方と交流があった

シーズン終盤、
その人達の声の中に、
「グエン・コン・フォン選手は、
    日本に行くべきではなかった」という声を
いくつか聞いた

僕は当時、
その声に返す言葉はなかった…

だから、
「グエン・コン・フォン選手」が、
水戸に来たことが、
本人とベトナム人、ベトナムサッカーにとって、
よかったのかどうかは、
分からないが、

近い将来
「グエン・コン・フォン選手」は、
日本代表をも撃破する程に力をつけ、

世界からも注目されるような
ベトナム代表の主力選手となってくれると
僕は信じているし、


その事を思い描きながら、
これからも
「グエン・コン・フォン選手」を応援して


いきたい…