一言で言って幸福と言っても、その内容にはレベルと言うか次元があります。低いレベルの幸福と高いレベルの幸福があると思います。
ある人は、ドキドキするような興奮を得ることを幸福であると言うかもしれません。また、ある人はワクワクすることをやることが幸福であると言うかもしれません。
幸福にも低いレベルの幸福と高いレベルの幸福があると思います。そして、私たちは高いレベルの幸福を追い求めたほうがよいと私は思います。
幸福のモノサシ
幸福のモノサシとして大切なことは、空間的なモノサシと時間的なモノサシという事が可能でしょう。
空間的なモノサシとは、心の揺れ幅が大きいか小さいかということです。心の揺れ幅が大きければ大きいほど、それが終わった後の心とのギャップが生じ、幸不幸の振動が大きいでしょう。簡単に言えば、お祭りの後は寂しくなる、といったことです。
心の揺れ幅が小さいほうがより深い幸福を味わえるのです。
時間的なモノサシとは永続性があるかどうかです。瞬間的に楽しい、興奮とかそういったもの、例えば、ギャンブルをやるなど、そういことは刹那的な幸福であり、永続しません。これらを幸福のモノサシとすると、常にこれらを追い求める必要があり、逆に苦しくなってきます。
従い、時間的なモノサシとは、幸福に永続性があるということです。
<幸福のモノサシ>
空間的なモノサシ:心の揺れ幅が小さいほうが、つまり、より心が静かなほうが、深い幸せとなる。
時間的なモノサシ:永続性がある方がより幸せである。
静かな幸せとは?
ですから、私が思う、最上の幸せとは、すごく静かな幸せです。そして、すごく静かであるからこそ、永続性があるのです。
それは、例えていえば、春の穏やかな草花が咲き乱れちょうちょが舞っている風景であり、そして、寝ている子供を母親が優しく見つめるまなざし、のようなものです。
このような穏やかさ、静かさというものは、幸福と言う言葉ですらも、ガチャガチャした言葉と思えるほど、繊細な穏やかさですが、このような湖面のような心というものが私は最上の幸福であると思います。
これに対して、「そんなつまらないことが最上の幸福?幸福っちゃもっと興奮が伴うようなワクワクするものだろう!」という反論が聞こえてきそうです。
しかし、そのような興奮を伴うようなものは、永続性がありませんし、それらを求めるのであれば、常にそれらを求め続けなければならず、いつかは枯渇してしまうこともあるでしょう。そのときに大変苦しむであろうと思います。
また、湖面のような静けさを心が持つようになると、意識振動数がそのような状態に一致しているので、ガチャガチャした都会的なものを避けるようになってくるのです。そして、その穏やかさが永続する。常に、永遠に穏やかな静かな優しい幸せを感じていられるという事です。
私はこのような幸せこそ、本当の幸せであると思います。
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