現代病の一つの大きな原因、それは私は足るを知らない心にある、と思います。

 

現代社会はなんでも思い通りになってしまう。それが足るを知らない心を助長する一つの要因にもなっていると思います。

日常と非日常の比率

日常生活を考えると、ルーティン的な毎日同じことの繰り返しと、非日常的な部分。その2つによって成り立っていると思います。

 

日常的な部分は、朝起きて、顔を洗って、朝食を取って、仕事に出て、帰ってきて、夕食を食べて、家族団らんで、お風呂に入って寝る。そういうことでしょう。

 

これに対して、非日常的な、例えば、友達と映画を見に行く、飲み会に行く。または、遠出して旅行に行く。そういったことがあると思います。

 

この比率ですが、日常と非日常の比率が、例えば、150年前の幕末、明治維新の頃は、おそらく日常の比率が高かったと思います。

 

それが、現代は、収入や余裕にもよるでしょうが、非日常の比率を高めることができるようになっています。要は、娯楽が以前に比較して、比べものにならないくらいに増えているのです。

 

そして、この事実が、人々をよりわがままにさせている。そのために人々は様々な病を抱え苦しむようになっている。

 

そのように私は思います。

日常で飽き足らない人々

結局のところ、このように便利で何でも手に入り、思ったことができるようになっているがゆえに、人々は忍耐力や我慢の力が弱くなっているのです。

 

不便なら便利にさせてしまえ、待つのが嫌だから何か別なことをやって空白の時間を埋めてしまえとして、スマホに依存するようになり、日常が退屈であるからとして、友達と飲んでばかりいる。承認欲求が肥大化して、SNSを一日中行っている。

 

自分自身の欲求のままに生きている。そのような現代人の姿が見えるのです。

 

しかし、そのように欲求のままに生きていると、際限がありません。刺激を欲し、それに飽き足らなくなると、更なる刺激を欲するようになります。足るを知らず、快楽が苦しみに変わっていくのです。

足るを知る

ですから、そのようにわがままになっている自分を発見したら、便利さから一旦手を引いてみることも手でしょう。

 

スマホは必要な時以外見ない。家に帰ってきたらすぐにインターネットを見始めるのではなく、たまには何もない状態で目を閉じて心を落ち着けてみる。日常が飽き足らないと言って、非日常を求めるのではなく、日常で足る心を作る。

 

そのように足るを知った生活をすることが大切です。

 

結局、なぜ足るを知る必要があるかと言うと、幸せになるためです。小さなことに幸福を感じ取れる感性を取り戻し、何もない状態で穏やかな幸せな心でいることができる。そのような心を取り戻すためです。

 

足るを知らない心は、苦しみに通じます。欲してそれを愛でている時は幸せでしょう。しかし、すぐにその時は終わりを告げます。すると、次なる欲求を満たさなければなくなり、際限がありません。

 

従って、幸せのためには足るを知ることが大変重要なのです。

 

 

 

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