「あの世は存在すのだろうか?」

「人間はこの世限りで死んだら無になるのだろうか?」

 

そういった疑問は謎のままであろうと思います。

 

以前あの世は存在するのか?しないのか?について考えてみましたが、非常に単純な別視点から考えてみたいと思います。

 

 

あの世の存在理由

以下の記事であの世が存在しないと言うのは、論理的に矛盾が生じると言う話をしています。

 

 

まず、人生がこの世限りであれば、人生の目的は思い切り楽しむことであると言う話をしています。

 

人生がこの世限りであれば、それを比喩として表せば、一生に一度の海外旅行に行くということであり、もうその後は無いという事です。

 

であれば、やはりその海外旅行を思い切り楽しむであろうと思います。それゆえ、人生がこの世限りであれば、人生の目的は思い切り楽しむことで、その権利は等しく与えられるはずだと思います。

 

ところが、現実の社会を見ると、不思議な光景が見えます。つまり、貧富の差は拡大し、貧しい人はその日を暮らすだけでも精一杯です。この情報社会にあって、鬱病やら依存症やら様々な精神的な病を引き起こし、いじめ問題や、自殺、そういったニュースも毎日のように目にします。

 

人生が思い切り楽しむことであれば、これは、どういうことでしょうか?

 

要は、人生がこの世限りであるとすると、何かしら矛盾が生じるのです。

 

それに対して、人生は永遠であり、人間は生まれ変わりを繰り返す存在であるとすれば、もし、今回貧困の中にあえいだとしても、魂の全人生からすれば、それは、大きな糧となることでしょう。

 

良いも悪いも様々な経験を行うことで、魂が成長していく。そのようになるでしょう。

 

つまり、魂は永遠であり、人間は転生輪廻を繰り返す存在である。そのほうが、非常に論理的であり、整合性も取れます。

なぜ人間は向上心を持つか?

加えて言えば、なぜ人間は向上心を持つのでしょうか?

 

人間は向上心を持って、少しでも成長しようとして、社会の中で努力を行っています。それは、おそらく例外が無く、全ての人々がそのようにやっていることでしょう。

 

そして、人間が向上心を持つのであれば、私は、やはり、人生がこの世限りであるということとは矛盾が生じると思うのです。

 

つまり、人生がこの世限りであれば、人間はなぜ向上心を持って努力をするのでしょうか?人生がこの世限りで、死んだら無に還るのであれば、努力する意味は何でしょうか?説明できません。

 

子孫によりよい社会を残すため、というのはあるかもしれませんが、では、なぜ社会は進化発展を志向するのでしょうか?社会が進歩の道をたどるのであれば、過去の人々よりも、将来の人々の方がより幸福を享受できることとなり、不公平が生じませんか?

 

矛盾が生じます。

 

人間が向上心を持っているのは、この世と言う視点で考えているのではなく、転生輪廻の全人生で考えているからそうなのだろうと思います。

 

要は、転生輪廻を繰り返し、少しでも神に近づくために、向上の道をたどっている。神の懐に戻っていくために、向上心と言うものを持っている。

 

そのように言えるだろうと思います。

 

 

著書、サイト

■著書

私の著書はamazonで販売中です。amazonで「小倉大玄」で検索お願いします。

 

●哲学

『理念の哲学』3850円

『知の変革』2200円

『知を正しく導く方法』2200円

 

●宗教

『神の世界』2200円

『あの世とは?』2200円

『宗教統合』1100円

『この世とあの世を貫く幸せ』1100円

 

●社会変革

『新しい時代の価値観』1100円

『新しい地球世紀』2200円

『心の変革から新時代へ』2200円

 

●ビジネス経済変革

『経済変革』1650円

『働き方変革と地球のための新経済システム』2750円

『出世競争から外れたときの心構え』1100円

 

●科学

『科学と宗教の統合』1650円

『心の物理学』3850円

『心の物理学2』2200円

『心の物理学3』2200円

 

●教育

『新しい教育のすすめ』1100円

 

■サイト

Taigen Ogura Philosophy Labo