私が1番夫を責めている。

そんなの知ってる。



夫は本当に人当たりのいい人で、笑顔が朗らかで、優しく、思いやりがあり、真面目で、頭がよく、知識豊富で、面白くはないけど、話しているのが楽しくて、誰からも好かれる人間だったことは私が何が何でも保証したい。と思う。



現に、お葬式に予想を遥かに超える人数の人たちが来てくれたのが、その証拠でもある。




でも、気弱で、他人の目を必要以上に気にして、ウジウジ悩んで、しょうもないことでクヨクヨして、自分のせいだの、仕事ができないだの、精神疾患だの、親のせいだの、環境のせいだの言っていた。自分に甘いくせに、それを許せず自分を追い詰める癖を持っていた。自分を自分で律しているんだから、他の誰も自分のことを責めないで欲しい、こんなに自分を責めているんだから見逃して欲しいとでも言う感じだろうか。



どうしたいのか、どうなれれば楽になるのかをもっと模索して欲しかった。

自分を責めればどうにかなるのだろうか。

そんなこと言ってる暇あったら、悩んでないで動いてみたらよかったのではないだろうか。


そうして、悩んで動いた結果が、器用にタオルを巻いて家具に自分の首と共にくくりつけることだったのだろうか。



私はそれを許せないでいる。

それが1番苦しい。

彼の最期の決断くらいどうして尊重できないのか。簡単にできるはずもないけれど。



だからブログの題名のようなことは、

(自殺はいけないこと)誰からも言われていない。言葉には誰もしていないだけ。


顔に書いてある。

情けない、根性がない、どうしようもない、みっともない。

そんな顔をしてるように見えてしまうのは、私が1番そう思っているからなのだろう。きっと。



だけど、私と同じように強い心持ちの人間は、弱い心持ちの人間のことがわからないのだろうか。

 


でもじゃあ、なんで私たちはあんなに笑い合えたのだろう。

あれは嘘だったのだろうか。


死んでしまった今、確認しようがないのが悔やまれる。