ホープ食堂を主催しているホープ札幌教会の牧師の斎藤です。2020年11月5日に開始した第一回ホープ食堂は、13食の弁当提供から始まり、前回7月6日には105食になりました。
皆様のサポートに感謝します。
私は、2009年に妻と二人で生活相談サポートセンターを始め(翌年法人化)、生活困窮者や悩みを抱える方々への相談サポートを始め、それは活動のベースとして継続していますが、それを通じて課題を認識し、障がい者サポート等の組織的活動に拡げてきました。なお教会を始めたのは2019年からです。
貧困問題は、私が神から示されている課題の一つで、マザーテレサが「愛の反対は無関心」とおっしゃったように、目の前の困った人に、自分ができる事を行うことの大切さ、つまり隣人愛を、聖書を通じて教わってきました。
私は、71才になりましたが、私が若い頃、一億総中流と言われた時代は、とうに過ぎ去り、貧富の格差が広がり、相対的貧困率は、残念ながら非常に高い水準に達っしています。
コロナ後、特に、もともと生活基盤の弱い人たちが、さらに厳しい状況にあること、食を削る事態にも追い込まれている事も知り、神から促されホープ食堂を始めました。
前回の7月6日のホープ食堂の日の朝、朝の祈りにおいて、神様に示されたことがあります。それは、私が、毎朝祈っている主の祈りという、イエス様がこのように祈りなさいと教えて下さった祈り(マタイ6章9節~)です。
少し説明させてもらうと、簡潔でありながら、神に祈るべきすべての事が包含され、しかも祈るべき内容の順番も完璧であり、世界中で祈られているものです。その第一の特徴は、まず「神の思い願いがかなうように」祈りなさいということ。多くの日本人が慣れ親しんでいる「自分や家族の願いの祈念」とは違います。つまり、神との関係における信者としての霊的な祈りです。その上で、次に人が神に祈るべきことを、教えて下さる。霊的祈りから始まったことを踏まえると、神は、人に霊的な意味での祈り、つまり、霊的な悔い改めになると思いきや、そうはなっておらず、まずは「私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。」から始まる。神は、私たちの生命が保たれるように、食の提供を第一の願いとして祈れとおっしゃる。神は、私たちの必要性をよく分かっておられる。その次に、第二の願いとして、罪の汚れと罪責からの清めの祈りとつながっている。
そういう神の思いがあるにも関わらず、陥りやすい慢心が、「将来はともかく、今日の食は当たる。」と心の中で思っており「今日もお与えください」という切実感がない傾向が、信者の多くにある。しかし、それが保証されているわけではなく、太陽も水も空気も、そして食料も継続して提供してくださる方があっての感謝な事という前提を忘れがちになる。その事を、イエス様は注意喚起してくださる。
そうして、私が、ホープ食堂の日に改めてはっきりと示されたのが、その聖句は「私たちの」から始まっているということでした。
ひもじい思いをしている人、貧困ゆえに食を削っている方、一食を確保するのに大変な思いをしている人を私も知っている。私は、貧困問題を15年程度行ってきたので、極度の困窮支援や多くのホームレスの人との関りもある。一つ悟った事は、ホームレスになりたくてなった人は、一人もいなかったこと。それぞれの事情があることを痛感する。例えば、私の印象ではその4割前後の方は、知的障害等を持っている実態。家族や社会との関係性が希薄化し、途絶え、暖かく迎えられない場合、そうなってしまう場合が多い。
私たちのホープ食堂にも、数名の方が、はるばる大通り近辺から歩いて来られようになった。神は、一人ひとりの困っている人に愛をもって、憐れんでおられる。そして、私に、私たちみなに食が当たることを、神に祈れとイエス様はおっしゃていた。改めて気付かされました。
食に困っている人や家族、そのただ中でひもじい思いをしている子供たち、いろいろな事情の中で、人として必要な食に困っている人がいる。神はその事をあわれみ憂慮されている。その方々への無料の弁当とお土産の提供、その願いが神から来ている事、神が多くの支援者の心に促して下さり、そのおかげで、多くの支援が集まっている事、すべては、神から発している事を、あらためて知ることができました。感謝します。


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